2010年11月25日木曜日

2年生 小西様の返信です。頑張ろう(^^)

清家先生、
cc:安達さん、

小西@富士通です。
こちらこそ連絡が遅れて申し訳ありませんでした。
当方も楽しみにしていたのですが、先週になって
小西はこの金曜夕刻からドイツとの電話会議が
設定されてしまったもので。

12月は中旬にドイツ出張が入っており、年内は
時間を作るのが難しそうです。年が明けましたら
また調整させてください。

学生の皆様、いろんな企業を訪問して良い刺激を
受けたことと思います。今後も微力ながらお手伝い
できればと思っておりますので、皆様に宜しく
お伝え下さい。

では、
小西紳介 拝

2010年11月24日水曜日

ドラッカーと土光敏夫経団連名誉会長 チャレンジ&レスポンス

土光敏夫『経営の行動指針』という本はドラッカー+日本型の素晴らしい内容です。
僕は政治では田中角栄、公的経営では土光敏夫経団連名誉会長、効率経営では松下幸之助を尊敬しています。
この本を読まれ目からうろこ!
次は具体的手法を話しましょう

指示指導という言葉は、ドラッカーのいうチャレンジという言葉に置き換えること
指導を受けた報告(応答)は、土光敏夫経団連名誉会長のレスポンスという言葉に置き換えること

明日11月25日木曜日18時富山地方鉄道の尾崎先輩が大学に来ます。214演習室、ゼミ生他先輩も集合!!!

富士通見学有難うございました。

富士通 小西様
富士通 安達様

見学ご高配有難うございました。
学会など出張が続き忙しくしております。
11月26日(金)にお会い出来るのではと思っておりましたが
お会いできなくなりましたので(来年の楽しみ)
改めて工場見学のお礼を申し上げます。
学生は、今見学のまとめをしております。
12月に入り、ゼミで報告会を行います。
報告内容をご送付いたします。
今後ともご高導お願い申し上げます。


清家

後列右から2人目が三善先輩(早稲田大学大学院)

三菱電機見学の思い出 2年生 写真 後列左から3人目三菱電機磯貝様

大学院生は修士論文中間発表、4年生は卒論発表近し、今週中に相談に来るように

2010年11月16日火曜日

成功者の歴史と未来 ソニー 産業の創造プロセス 未来産業予測

東芝vsパナソニック 日産vsトヨタ

 トヨタ自動車、パナソニック(旧松下電器産業)もかっては新しい事業の創造過程によって、事業化された。トヨタ自動車は豊田自動織機の自動車部門として創業、やがて分離独立し現在の大企業になった。パナソニックは松下幸之助が創業した。どちらも、当時のニュービジネスとして先取り的に創業している。
 トヨタにとってのニュービジネスは自動車、パナソニックは家電であったと考えられる。トヨタは企業内ベンチャーであり、パナソニックは起業家松下幸之助の創業したベンチャーであった。
 日本の産業、おそらくは世界でも、地方でもそうであると思われるが、産業は3つの型の企業で構成される。
 第1の型は、国策会社的な国や地方自治体の代行者といった企業である。自動車においては現在はルノーと一体化しているがかつての日産自動車がそれであった。家電においては東芝が典型である。これをある官僚はこのように表現している。「世間が評価している企業と国が評価している企業は違うんです。企業にはその企業があって国が助かる企業と、国があってその企業が助かる(儲かる)企業とあるんです。東芝があって国はずっと助かってきた。」
 このような企業は、国がやるべき基礎研究や儲けの少ない製品開発も意欲的に取り組む。東芝は昭和40年代、将来の郵便事業の発展のためにと、当時としては画期的な郵便番号読みとり装置の開発を儲けを度外視してやった。「東芝は儲からんことばっかりやる。」「東芝は日本の技術を背負ってきた。」
 この型の企業を「公共型(公共指向型)」と呼んでみよう。
 小学校のときの優等生、クラス委員といった人がそのまま企業になったといったところである。クラス、学校を彼らは背負っているかのごとく気負って、先生の代弁・代行をする。

 第2の型は、公共型の企業の競争者として登場する。日産に対するトヨタ自動車、東芝に対するパナソニックである。公共型が国、地方自治体を意識するのに、この型は消費者(お客)を強く意識する。公共型が研究や開発を重視するのに対し、効率・品質・価格(値段)を重視する。公共型が将来性や高い技術力を強調するのに対し、現実的である。 
「乾いた雑巾をまたしぼる」「ケチケチ企業」といった代名詞がこの手の企業にはつきまとう。要するに節約家である。無駄なことをする奴、ぜいたくをする人間は敵だと思っているのである。
 「お客様にもっとも喜ばれる商品を安くお届けする」が社是である。国や地方自治体から指導されても、お客の利益にならない(無駄である)と思えば、露骨に腹をたてて、その指示を無視することさえある。国の指示で10億円のよけいな開発をすれば、商品の値段が何円上がるといった計算が頭の中でぱっとひらめく。毎日、勤勉に働き、カッコ良さや、ミエはどうでもよい。
 この結果、無駄なことはしないから商品の原価は安くなる。トヨタのカローラは原価で日産のサニーより2割は安いといわれた。パナソニックの創業者松下幸之助は「水道哲学(だれもが十分に飲める水のように大量の電器製品を家庭にお届けする)」を社是にして、電器製品を大量生産した。
 このような企業では量産品を作る技術者がその企業のエリートであり、スターである。公共型の東芝では消費者向けの家電製品を作る技術者より、”政府御用達”の重電を手がける技術者がエリートとなってきた。
 この型の企業を「効率型(効率指向型)」と呼んでみよう。この型の企業が日本では業界NO.1になることが多い。
 小学校のクラスでも、机帳面に整理整頓して、ゴミひとつない机で、コツコツ勉強している子供といったイメージである。要するになまけものは嫌い、無駄なことはしないのである。

公共型は国家・地方自治体・不確実な未来に振り回されて無駄が多く、商品の原価は高くなる。この効率型との競争が商品の値段を押さえているといえよう。

 パナソニックとトヨタ自動車は東芝、日産の競争者として出るべくして登場したのである。

ソニーとホンダ

 第3の型がソニー、ホンダである。公共型が国・地方自治体を向いていて、効率型が消費者を向いているのに対して、この型は自分自身の内面を向いている。公共型が研究を、効率型が値段を意識するのに対して、この型は自分の”趣味”を意識する。要するに「俺がやりたいことをやりたい。俺が欲しいものを売りたい」のである。効率型が消費者を向いているのに対して、この型は自分自身の内面を向いている。

 ソニーのウォークマンは80年代の空前の大ブーム製品となった。その間の経緯は以下である。役員室で、ソニーの盛田昭夫社長の目の前を、井深大会長が考えごとしながら歩いていた。見ると大きなカセットレコーダーを背負っている。「考えごとするときは、どうも音楽がないとね」というのがその理由の主たるものであった。これを見て、「そうか音楽好きの人間にとっては、いつだってカセットが必需品なのだ」と考えたのがウォークマン商品化の端緒であった。これは商品化すれば売れるかもしれない、これが、ウォークマン発売のきっかけと言われる。有名な話である(他に異説があり、ソニー伝説のひとつ)。ところが、発売当時の技術ではカセットレコーダーは重すぎた。これでは、背負って歩くには重すぎる。
 なぜ、重いのであろうかが次の事業化の問題となった。カセット機能の再検討が行われた。音声再生機能、録音機能・・・と列挙し、減らしうる機能を検討した。もっとも基本的な機能で、問題になったのが録音機能である。当然商品の形成過程からも、この録音機能があることに関して多くの商品企画者、技術者で疑義をはさむものはいなかった。しかし、軽量化の強い要請と井深会長は録音をしていなかったという観察が発想の転換につながった。再生だけのカセットプレイヤーが事業化されたのである。再生だけであるのでカセット”レコーダー”ではないということで、商品概念自体の変更をともなった。そのような商品が市場性を持つかどうかが組織内での討議の対象となったが、基本的にはソニーの商品企画である”俺が欲しい”商品といった概念に基づけば、録音機能を除去することは合理性を持っていた。。思い切って録音機能は取って、小さなヘッドフォンのみ付けて、発売したのである。ウォークマンは世界的大ブームになった。まさに『地球にヘッドフォンを掛けた』のである。このウォークマンの開発は”俺がやりたい・欲しい”の典型である。
 ソニー、ホンダは組織文化として構成員個々が「自分の趣味を強く意識し」自意識が強いと考えられる。「俺がやりたいことをやりたい。俺が欲しいものを売りたい。買って欲しい」といったことで自己の存在を確認するといったところがある。

公共型企業が行政を、効率型企業が消費者を見るように、この型は自分自身の内面を見ている。

 公共型企業、効率型企業が市場を押さえてしまったところで、この型は登場する。公共型企業の押しつけがましいところが嫌い。効率型企業の個性のないところが嫌い。したがって、この2型の販売する商品なんて自分の趣味にあわない。したがって、好きなもの、無いものを作る。ニッチ市場(隙間産業)となる。

 この型の企業を「趣味型(趣味指向型)」と呼ぼう。

 小学校では、先生や、クラスのみんなに無関係に好きなことをして、得意になっている子がいる。動物を飼ったり、工作が得意だったり、みんなの人気者といったところである。先生の指示なんて、わずらわしいだけ、ただただ「何か作っているときは放っておいて欲しい。しかし、作ったものは大騒ぎして見て欲しい」のである。こんな子の頂点に本田宗一郎(本田技研の創業者)、井深大(ソニーの創業者)が居るのである。

ソニーの創業者

 井深大は、明治41年栃木県で”天下の古河”と言われた名門企業古河鉱業の技術者(蔵前高等工業卒 現東京工業大学)を父として生まれた。子供のときから、無線の製作に熱中し、興味が知識を、そして仲間を呼び、次々発明を重ね、早稲田大学理工学部のとき「学生発明家・井深」はマスコミでも取り上げられ、有名になっていた。パリの博覧会で金賞をとり、「国際的栄誉に輝く、天才的発明家」と新聞で話題になった(中川、1988)。
 このような井深の興味と発明心が後のソニーの創業につながる。ソニーの創業は「自分が欲しいものを作る」「作ったものを大騒ぎしてみて欲しい」といった子供心の延長にあるのである。本田宗一郎も同じである。趣味型企業=ソニーとホンダである。

産業の創造プロセス

 趣味型企業と公共型企業、効率型企業の関係が産業を作る。公共型が市場を作り、効率型が市場を広げ、趣味型が市場を多様化する。しかし、この関係は完全な棲み分けではなく、オーバーラップが起こり、絶え間無い競争が起こる。これが産業の構造であり、歴史である。

未来産業予測

 重要なことは、未来にもこれが応用できるということである。例えば、現在の通信業には公共型の巨人NTTグループが存在する。この産業が拡大・発展するには効率型と趣味型の企業が求められるのである。
 ニュービジネスを考えるとき、これは良い示唆となると思われる。また、創業者自身の性格も重要である。政治家・役人・NGOが好きなら「公共型」を創業すべきだし、几帳面な努力家だったら「効率型」、趣味人なら「趣味型」にならないと事業の成功はおぼつかない。
 
 なお、この公共型・効率型・趣味型の分類は流通・販売業でも適用できそうである。

未来経済30年後 托卵型から環境シミュレーション成長経済へ

托卵型から環境シミュレーション成長経済へ
経済における長期ビジョン

1.中国からインドへの成長移転「托卵型経済発展」
 世界経済における成長点は中国であるといわれ、2010年現在年率10%の成長を続けている。この中国の成長はインドへと波及している。中国13億人の経済の次に、インド他10億人の経済が成長、世界経済全体は、長期的な成長が期待できることになる。この時代は、今後10年ピークを迎えると思われ、現在30歳40歳代で、未来を今後担おうとしている欧米日、中国のエリートには生涯忘れられない時代となると思われる。
さて、中国の成長はかつての韓国、台湾、マレーシア他の成長と異なっている。これらの諸国の成長を説明する原理は、雁行型経済発展といわれる。その基本は学習であり、産業は学習と模倣によって、より先進地域な地域から発展途上国へと順次移転していく。模倣や学習は、後から行うほどより効率的、短期間に行われるので、後から追いつく国ほど早く成長できることもあり、次々より高い技術レベルの産業を模倣により創出していく。
 また、より先進的な地域での低い技術レベルの産業は、追いつかれた国の産業にその座を譲り、衰退していく。このような産業の模倣による創出・衰退が連続的に起こり、そのイメージが雁の群れが飛んでいく姿に似ているということで、雁行型経済発展と呼ばれている。キーワードは学習で、社会のエリートが欧米日に依存しないで、自分自身で学習、模倣し、技術と産業を創造していく。主体はあくまでその国のエリートであることが多い。
 中国の発展はこれと異なっている。中国の発展は、貿易依存型でありGDPの50%程度が貿易関連によって生み出されている。また、輸出入の半数は、外資系企業に大きく依存している。このことは、何を意味しているのか。実は、中国という場で、欧米日が勝手にビジネスを行っているのであって、中国は場所を提供しているに過ぎない、とも考えられる。日本企業は、中国の日系企業とビジネスをしている。日本人対日本人である。同様に米国も、米国人と米国人がビジネスを中国という場で行っている。欧州も同様である。中国という場で、日本と欧米間のビジネスも起こる。社会のエリートが主体をなしてのビジネスというよりは、海外人材に依存するビジネスである。
 日本と欧米のビジネスの違いは、欧米企業の場合は、企業内に中国人が多いので、ビジネスの主体が欧米人とはいっても実際は、中国系であることが多い点にある。この点で中国では日本企業より好意を持って欧米企業は迎えられる。しかし、基本的には中国しか知らない現地の中国人にとって、これらのビジネスは、極めて参入しがたい無縁のビジネスであることが多い。
 例えば、中国で、米国企業の東アジア担当副社長が、米国留学した中国人または米国生まれの中国人を現地法人の社長にして、ドイツ企業、日本企業とビジネスを中国で行うとしよう。この企業は、中国の現地政府の中国人エリートと交渉をし、工場従業員、事務スタッフ、営業スタッフに現地の中国人を雇用するが、やりかたは米国流で、本国の米国で仕事をするのと同じ感覚で意思決定を行う。現地採用の従業員は単純労働に従事し、意思決定は委ねられない。米国に留学して学位をとり、仮想に米国人になって帰ってこなければ、意思決定の輪には入れない。
 また、上海では日本企業が日系企業とビジネスをすることは日常で、日本企業が溢れ、日本語も溢れる。このビジネスモデルには、中国しか知らない素朴な中国人は単純労働者としての意味しかない。米国と異なり、日本に留学して学位をとっても仮想に日本人になることは出来ない。意思決定に入れないことで、不満は大きい。
 このビジネスモデルで、中国の多くの地域は成長している。日本企業、欧米企業は、貧しい中国の大衆を中国という場で単純労働者として雇用しているのであって、経営の中核は中国の大衆にとって無関係である。現地の中国人は単純労働者としてのみ意味を持ち、経営は欧米日の経営者、管理者が、日本企業は日本人が、欧米は留学経験者等の中国人が行う例が多い。現地の中国人が関わるのは単純労働で給料を貰うだけである。
現在は、中国での製品は輸出されることが多いが、これが内需主体に変わっている現在もビジネスモデルは変化しない。現地の中国人が関わるのは単純労働だけであったのが単純に消費も行うようになるというだけである。ビジネスモデルにおける作業を意思決定と単純労働の2種類に大きく分けるならば、意思決定は欧米日が行い単純労働は現地の中国人が行い、商品の購入も欧米風のファッションに誘導されて中国人が、単純消費させられるに過ぎない。
 この説明はモデルを単純化して中国を捉えたものである。中国の現状はこれだけではもちろん捉えられない。現に家電産業を中心に、ハイアール、TCL等の現地の優れた企業と経営者が登場、海外に進出している。上海の日系企業には現地経営者に完全に経営を任せて成功する例が出てきている。国有企業の民営化、優れた創業者の選択、このような試みで、今後も次々に成功者が現れている。中国企業の進化は急速で欧米日の予測を超えており、韓国企業は先を行く欧米日企業と後から追い上げる中国企業の間でサンドイッチにされて消える可能性さえある。
 しかし、基本的には、意思決定を欧米日が、単純労働を現地従業員が行うというビジネスモデルが初期に現れ、これが中国における経済発展の成功の中心原理であったと思われる。この初期を第1期と考えれば、次の第2期に現地企業のウエイトが増加し、第3期に現地での消費が始まるとの国家発展モデルが中国型と規定できそうである。第1期の中心が広東であり、第3期の中心が上海である。この国家発展モデルの中核をなすのは1期から3期まで通して、欧米日が意思決定、現地の中国人は単純労働・単純消費というビジネスモデルであった。
 中国政府、広東、上海市の政府は、親として「企業」という子供を一生懸命育ててきた。しかし、実はこの子供は欧米日という親が産んだ卵が孵ったものであるのかもしれない。中国政府というウグイスはカッコーが産んだ卵を一生懸命育てているのかもしれない。この経済は「托卵型経済発展」とでも表現するなら、先進国が意思決定、発展途上国が単純労働・消費といったビジネスモデルによる国家発展モデルであった。
 ところで、中国政府は国家戦略が素晴らしく、中国人の駆け引きにはかなわないといったことをいう識者が多い。しかし、それは本当だろうか。かつて、アヘンを国内にばら撒かれて、2回のアヘン戦争で半植民地に陥った過去を考えれば、中国政府が国家戦略で巧みとはまだ歴史が証明するところではない。中国政府の失敗は歴史でいくらでも指摘できる。むしろ、国家戦略で多くの学習課題を抱えた政府とも思える。
 この托卵型経済発展モデルはそのままインド他、バングラデシュなどに対しても応用が可能である。現地の中国人が単純労働・消費という部分を、現地のインド人が単純労働・消費と言い換えれば、概ねこのモデルによる国家発展がインドでも可能であった。インド以外のパキスタン、バングラデシュでも托卵型経済発展モデルは成功しうる。
 このような托卵型経済発展は中国政府、インド政府から見てあまり気分の良いものではない。しかし、先進国にとってもこれは困り者である。一番困るのは、徴税である。企業が中国、インドへ行ってしまえば、税金を払ってくれない。企業を育てるまでに国民の税金は少なからず、使われたはずである。ところが、育ったと思ったら中国、インドへ行ってしまって、税金を払わなくなるのでは先進国の財務省は不愉快で、なおかつ国民に申し訳ない。
 しかし、むやみに他国内の活動から税金を取れば、中国政府、インド政府に叱られる。さて、困った。近い将来、既に現在、先進国の財務、経済産業関係省庁は、海外徴税システムの構想課題を抱え、悩むことになる。この構想課題を具体化する有力なヒントは、海外移民からの仕送り経済に依存している現在のフィリピン等、特に依存度が大きい太平洋の島国から得られる。これらの国々は、若者をオーストラリア、ニュージーランド等の先進国へ移民させる。彼らは2代くらいに亘って仕送りしてくる。ここから税金を取って、これら太平洋の島々は経済を維持しているのである。企業を法人と呼ぶ。海外進出を「法人移民」と言い換えれば、ここに徴税のヒントがあるのかもしれない。

2.20年後 ロボット経済発展モデル
 托卵型経済成長モデルは、先進国が意思決定し、発展途上国が単純労働・消費するという仕組みであり、地球上を一巡し、現在の定義で言う発展途上国が消滅するまで続くと思われる。しかし、いつまでも続かない。発展途上国が主流でなくなる地球、その将来、その後の経済について構想してみよう。その時代は、単純労働・消費をする人的資源が消滅する、もしくは消滅しなくても、少なくとも経済的な意味が大きく減少している。その経済は20年後には到来するであろうと思われる。現在、30歳代で、欧米、中国、日本の未来を担おうという人材にとっては、20年後はもっとも働き甲斐のある年齢に達する時代である。この時代の経済モデルとはなんであろうか。その転換、革命に備えなければならない。
 さて、単純労働・消費をする人的資源が消滅する時代である。その後を考える際、単純労働を行う人材に代わる存在として規定できるのがロボットである。ロボットは、現実世界でのロボットとインターネット上でのネットロボットの2つの型が存在する。
 前者の代表は本田技研工業のアシモが21世紀に入ってすぐ登場した。受付ロボットとして、維持費が年間2000万円、受付機能として年間100万円の価値を産み出した(本田技術研究所平井常務、2002年インタビュー)。差し引き1900万円の赤字である。しかし、宣伝効果等を考慮すると黒字と判断する企業が多く、IBMを初め数社が使用した。これは、給与が100万円で年間2000万円も消費する不経済な単純労働者が生まれたと規定できた。また宣伝効果でアシモは黒字と考える場合は、2000万円以上の年収があり、2000万円消費する労働者とも考えられる。中国のパンダのカップルは世界中に貸し出されて年収1億円を稼ぎ出し、中国へ仕送りしている。このパンダをロボットに置き換えることが可能であれば年収1億円のパンダロボットが登場することになる。パンダロボットは人間以上に高収入で経済に貢献する。
 ネットロボットではINAGO社のバーチャルアイドル伊達杏子以来、次々バーチャルアイドルは登場している。パソコン画面上で可愛く女子学生を演じ、会話、楽しいショッピング相談、ちょっとしたデートの相手だってできる。ちょっと、間違えると恋人としてのめりこみかねない魅力を備えている、彼女は画面内の人造人間であり進化し続けている。他にも、沢山のキャラクターをINAGO社はもっていて、オーダーメードで、君好みの人造人間を700万円で作ることが出来た。もちろん、君自身も複製できる。INAGO社はリクルート人脈の企業で、研究開発はカナダで行っている。最大株主ホリプロダクションによって創業された。
 彼女バーチャルアイドルは、買い取りの「可愛い奴隷」で、パソコン上に希望の人に似せて作ることができる。数百万円で買える可愛い奴隷、ちょっと怖いイメージですね。でも可愛い。マイクロソフト社もこれと類似したとってもキュートな女の子ネットロボットを作って、世界的にはWebロボットともいわれ、これも変形、多様化、進化している。学者はエージェント、ソフロボットとも言っている。
 さて、アフリカから黒人奴隷が買われてきたように彼女バーチャルアイドルは買い取ることができる。彼女の機能は多いが、例えばパソコン上でのインターネット私設秘書であり、学習計画、学習相談とか、特に観光ガイドとかをちょっと可愛い物知りのお友達としてこなしてくれる。観光ガイドはもっとも彼女が能力を発揮させやすい場で、インターネット上の観光サイトはそのうち可愛いネットロボットキャラクターで溢れるようになると思われる。
 この観光ネットロボット市場には、可愛いだけでなく、個性的、野性的、変態的といったあらゆるキャラクターが登場し、ビジネスを競い、この競争に負けた旅行会社は大きくシェアを落とすことが考えられる。このイメージは、現在のテレビ局の競争が女子アナウンサーの魅力競争によっているのに近い。この市場は、近い将来大きな市場となる。
 ところで、優れたバーチャルアイドルを購入する700万円として、個人にはかなり高い。もちろん、5年ローンを組めば、年間200万円でこの秘書を雇用できる。これは1ヶ月16万円相当で、これを高いと考えるかどうか。考えてみよう。購入後、君の奴隷として観光ネットロボットになるために彼女は厳しい訓練を君から受ける。彼女を徹底的に学習・教育し、JTB等と契約し、インターネット観光案内等で、キャラクターとして、稼がせるのが君の狙い。なんか、山椒大夫が安寿と厨子王を買ってきて、売り飛ばすお話を連想する。過酷に働かされるバーチャルアイドルちゃん。とっても可哀想。とっても嫌なイメージがするけど、これが実は20年後のロボット経済の本質である。
 上記のロボットとネットロボットはあらゆるバリエーションを将来持つことが考えられ、大きく3つの領域に進出することが考えられる。日常(仕事と生活)、非日常(介護と娯楽)、脱日常(観光と冒険)の3つが、その領域である。当然、それぞれ、人間と同様に給与に相当する収入を得、消費に相当する支出をする。21席に初めに登場したホンダのアシモは、給与100万円、消費2000万円、これでは甲斐性なしの道楽亭主であった。しかし、このような甲斐性なしは昔友人の中にいた記憶がある。
 六本木の防衛庁の裏のクラブ「ママジョーズ」でこの友人と一緒によく遊んだ記憶がある。面白かったね。彼は会社の社長の息子だったかな。しかし、やがて、真面目になった彼は、今は優れた経営者になっている。遊びを肥やしにしたわけである。
 そのうちアシモ君も足を洗って、100万円の年収は600万円になって、2000万円の浪費が300万円ぐらいになって可愛い奥さんをもらって幸せな家庭を築く。それがサービスロボットビジネスの未来ビジネスモデルである。
 サービスロボットは、現実には日常の仕事として、夜寝ない24時間ビルや住宅の警備を行うガードマンに就職することができる。セコムは機械警備=警備の機械化、電子化によって、出動回数を2桁減少させ、ガードマンの人件費を激減させた。同業の綜合警備保障は警備ロボット、テムザック社は、番竜といった警備用の恐竜型ロボットも開発し、進化させている。ロボット警備の中で、サービスロボットは高給取りになることができる。
 家庭での日常の仕事では、サービスロボットに電子レンジを内蔵させれば優秀な料理の鉄人になれる。サービスロボットにタイヤをつければ、個人の専用タクシーにも変身できる。携帯電話、スマートフォンはサービスロボットへと進化している。サービスロボットは歩く必要などない。スマートフォンが優秀な秘書として1日中サポートしてくれる時代が始まっている。
 生活では、子供の遊び相手、日曜大工などの機能を付加できる。どの仕事も、サービスロボットに高い給与を稼がせてくれそうである。
 非日常の介護では、サービスロボットは話し相手からペットロボットにまで変身できる。ソニーのアイボは優れたペットロボットであった。可愛く小型にして抱き上げる度に医療データが採れるようにすれば、年寄りにとって不快な検査を省略することが出来る。ペットロボットは本物のペットと異なり、病原菌を媒介することはなく、死んで嘆くことも無い。この医療用ペットが進化して医者ロボットになれば、サービスロボットは桁外れの高給とりのロボットになることもできる。サービスロボットを医者ロボットとして教育して、多くの高齢者のところへ派遣し、奴隷ロボットとして毎月仕送りさせれば、君は大金持ちになれる。
 ロボットは、娯楽においては、ゲーム、スポーツの相手ができる。また散歩のお供も、道路交通法さえ変われば得意中の得意技となる。脱日常では、観光ガイドとして観光地を案内できる。自動車の機能を併せ持ち、四国88箇所を、ガードマンを兼ねながら、弘法大師に成り代わり、説教しながら案内するロボットは高給取りのロボットになるのではないかと思われる。
 次に、再度ネットロボットのバーチャルアイドルの教育、就職、君への仕送りについて考えて見よう。バーチャルアイドルは、日常における仕事として株式取引のプロになることができる。それは証券取引ソフトを内蔵させ、教育すれば出来上がる。また、図書館司書になることは、検索ソフトを内蔵させればよい。生活では、料理相談、洗濯相談といった「物知りさん」になることもできる。
 非日常の介護では、ボケ防止の話し相手、健康チェックなどのソフトを内蔵できる。娯楽では、アミューズメント、ゲームソフトを内蔵させることでギャンブラにも変身できる。脱日常では、専属観光ガイド、冒険旅行のパートナーにもなれる。インターネットの中をとおれば、バーチャルアイドルは世界中どこへでも自由にいけるし、世界の誰とでも友達になれる。
 多言語ソフトを内蔵させれば、フランスへ出かけていって、日本の魅力をPR、そこで誰かの話し相手になり友達となって、日本へ一緒に行こうよと、誘うことも出来る。旅は、一人旅よりも2人のほうが楽しい。四国88箇所回りは、弘法大師という頭の中の人物と一緒に歩くから、継続できる。頭の中の人物より、ネットロボットのほうが、楽しい人も多い。
 宮崎県知事がパソコンにネットロボットとして登場、宮崎の魅力で、毎日話し相手になってくれて、ある日、僕と一緒に宮崎を歩こうよ、僕が案内するよ、といえば、ずっと魅力的な宮崎の旅をすることができる。給与を払うとしたら、宮崎県知事ロボットは、本物ほどではなくてもかなりな高給取りに相当すると思われる。もし、宮崎県が知事ロボットを世界中に100億台も派遣すれば、世界から毎年1000万人の観光客を宮崎に大量に集めることも可能である。何の根拠も無い数字です。忘れてください。宮崎県さん。でもハリウッドの数字くらいは意識しているのですよ。
 ロボット、ネットロボットは人間と組み合わせることも可能である。人間を助けることで給料をもらえるこの新しい人間のパートナー(奴隷?)は、人間に援けてもらうことで、活動範囲、収入を増加させることができる。応対でネットロボットが答えに窮したとき、判断に困ったとき、ロボットの空間が変わり自分では動けなくなったとき、人間に援けてもらうことができる。携帯電話と繋がれば、答えに窮したとき、人間が代わりに答えてあげることが出来る。実は、このロボット・人間インタフェース技術の開発が、一番、ロボット経済を到来させる際のキーテクノロジーである。
 例えば、ロボット清家君とネットロボット彰敏君を20台ずつ製作したとしよう。貧乏なくせに金遣いに荒い清家先生のために、ネットロボット彰敏君1号から20号は、揃ってまず講演を依頼されるように営業活動に入る。講演を頼んでくれそうな団体、企業の総務部のサイトへメールとともに登場する。
 ネットロボットは初期投資が700万円×20台=14,000万円となる、これは高い。それで、旧知のINAGO社に因果を含める。20人分まとめて、2000万円に負けさせ、それを5年間の月40万円のローンにしてくださいと伊達杏子以来バーチャルアイドルを進化させてきたINAGO社にお願いする。さて、20台であるから、1台当り月2万円消費するぞと考える。ペットの猫のえさ代なみかな。どうしても1台月に4万円は稼がすぞ、それができないと奴隷市場に売ってしまうと清家先生は山椒大夫みたいな怖い顔して考える。
 ネットロボット彰敏君は先生の顔をキャラクターにしているから、企業の総務部は、サイトを見て「あれ」と思う。まずは、企業の困ったことに相談に乗ろう。さて、先生はヘボなりに企業のガバナンス、戦略、組織、研究開発・・・に関しての大体のことは、実務経験、長年の企業人研修、トップ研修などで、やってきた。なんでも1秒以内で答える、早いだけが先生の特技。ネットロボットに、蓄えたQ&A集のソフト化、それを内蔵、学習させビジネスは始まる。
 1号から20号まで20台いるから、ネットロボット1台は95%相手の相談に答えることができればOKである。清家先生が電話の前でスタンバイしていて、ネットロボットでは答えられないイレギュラーな相談5%に答えるようにすれば、20台×5%でOKである。複数のネットロボットの答えられないとき、そのときがかち合ったときは、ネットロボットは、首をかしげて、考える振りをする。電話が空くのを待っているようなソフトにしておく。
 これで20倍の営業ができるようになれば、ネットロボットの稼ぎ・仕送りで年収は20倍である。それは無理である。やはり営業は本人が行くほうがうまく行く。でも10倍くらいは営業機会が増加するかもしれない。本人ではないとして成功確率が50%になったとして、5倍の売上増になる。ネットロボット彰敏君の次はロボット清家君の出番。これを20台使って講演を掛け持ちするぞ!これで、赤坂で飲める!嬉しいな!
 ギリシャ時代は、奴隷時代でもある。アテネは紀元前、約40%の市民と40%の奴隷、20%の外国人で成り立っていた。経済活動の主体は奴隷と外国人であり、彼らは人権をかなり制限された存在であった。近い将来、人間はアテネで言う市民、奴隷をロボット、外国人をネットロボットで構成する社会が登場すると思われる。
 ここでの徴税は人頭税がよいのかもしれない。現在の税制をベースにすれば、財務省は所得税と消費税の体系でも良いのかもしれない。ロボット、ネットロボットを人間に見立てて、年収と消費、そして奴隷所有者への仕送り額等をベースに徴税システムを構築できるかもしれない。貧富の差は大きく開くことも考えられる。
このとき、国家にとって人口が持つ意味はロボット、ネットロボットの普及とともに徐々に小さくなっていく。人口が大きくても、ロボット、ネットロボットの少ない国は小国であり、多い国は大国といったイメージが出来上がると思われる。人間+ロボット経済による成長である。
 米国の90年代からの成長のかなりな部分は、2億3000万人から2億7000万へ人口が増加したことと無関係ではない(共産圏の崩壊からの人口移動などにより米国は年間300万人人口が増加している)。イギリスの人口に近い4000万人近い移民の移入などによる人口増で成長率のかなりな部分が説明可能であった。移民は生産と消費の両方でGDP増に協力したのである。この移民をロボット、ネットロボットに置きかえれば、成長は自由自在に行うことが可能かもしれない。
 意識して、超高度成長を行う国家も出てくると思われる。ロボット、特にインターネット内で世界中どこにでもネットロボット兵士を送り込めるネットロボット軍隊を創り上げる国家の登場は注意ずる必要がある。これは、核よりも破壊力のある最終兵器の可能性もある。
 財務省はどうなるのであろうか。経済成長率は、移民とGDPのデータからモデルを構築、シミュレーションモデルを作り上げ、それをロボット、ネットロボットに置き換えたシミュレーションモデルへと修正すれば、計算できる。ロボット、ネットロボットへどのくらい国費を投じれば、GDPがどのくらい、徴税がどのくらい上がるかというシミュレーションモデルが国家財政政策の基幹の一つとなると思われる。税金はシミュレーションで分かり、逆算することもできる。
 日本は産業用ロボットで世界の半数を占めるロボット大国である。ネットロボットでも先進国家である。日本では民生用ロボットが話題になっている。米国ではイラク戦争はロボット兵器の実験場とも捉えられた。米国の軍事ロボットの進化は速い。このように、ロボット、ネットロボットの研究開発投資は世界で急速に増加して、次々成果が出始めている。この成果に平行して、政府は、ロボット経済発展に関する「政策用のロボット経済シミュレーションシステム」への研究開発も徐々に始める必要があると思われる。
 さて、未来を考える鍵の一つは、環境、有限な地球である。インターネット内だけで人間を代替するネットロボットは材料、エネルギー消費が極端に少なく環境負荷が小さい。ネットロボットは循環型経済を志向する世界経済のキーワードになるかもしれない。

3.30年後 想像を絶するシミュレーション経済
 ロボット経済の怖さは、取引速度にある。また、素晴らしさは、活動をすべて補足し、総和を求めることが容易であるという点である。地球の環境負荷から逆算して、ロボット、ネットロボットの活動を制御することが可能である。翌年のGDPもシミュレーションから自由自在に決めうる。この時代は30年後。現在10歳20歳代の頼り無さそうな生徒、学生、怒られっぱなしの新入社員たちが、中核をなす時代である。米国ではベンチャービジネスに命を賭ける大学生、中国ではお金儲けに野心満々の人民大学の学生さん、ガーナのプログラマー専門学校へいく女子学生、ドイツで大学教員になれないけど学位をとるのだと頑張っている女性研究者、すべてがこの時代のリーダーとなる可能性を持っている。
 人間と人間のビジネスはどんなに効率よく行っても、秒単位である、築地の市場、ロンドンの証券市場でも人間がやれば、ナノ単位とはいかない。ところが、ロボット経済では、取引はロボットとロボットである。インターネット内のネットロボット間の取引はナノ単位、無限に小さくなる。人間が1回取引する間に、ネットロボットは1億回の取引、ビジネスを行う。
 人間が物、情報、サービスを作り、取引することをビジネスと呼べば、これはすべて秒とか、分、時、日、年の単位で行われる。それに対し、ロボット、ネットロボットはナノ以下が単位である。人間の経済がロボットの経済へ移り始めたとき、人間はこのことに気付くことなる。ロボット経済が進行すれば、やがて人間の経済活動が占める割合は急速に収縮し、やがて無視できる規模になる。
 このことが、すでに起こっているのは株式市場である。証券ソフトなどは一種のネットロボットである。このネットロボットによるプログラム売買の速度に人間はついていけない。大部分は、ロボット経済でこの世界は決まりつつあるのである。
 しかし、このロボット経済が進行し、人間の経済がある量を下回ったとき、われわれは経済を見える手でコントロールできる時代に入る。地球環境を考慮し、環境破壊をシミュレーションし、その総枠を決め、その総枠を超えないようにロボット取引、ビジネスを制御できる。もっとも環境負荷が少ない経済モデルを何億回のシミュレーションの結果、決定し、そのとおりにロボットに経済活動を最適に行わせることが可能である。シミュレーション経済の時代である。
 徴税も、年間予算から逆算して、目標額に合わせてシミュレーションして、経済活動の内容、支援方策を構築することから、徴税が行われるようになる。徴税方式を変えたとき、どのくらい経済が変化するかもシミュレーションで求められる。
 ロボット、ネットロボットの数的増加は、取引数の級数的増加をもたらす。ロボットの数から求められる取引はロボット間の関係数に相関するからである。この取引数の増加は、ビジネスの増加と正の相関を持つと考えられ、経済成長は取引数と相関する。したがって、この経済は必然的に成長経済となることが予想される。特に環境負荷の小さいネットロボットへ、国家としての支援を行えば、環境制約下での急成長が可能である。したがって、このような経済は「環境シミュレーション成長経済」とでも表現できると思われる。
 30年後に向かって、これらの経済シミュレーションモデル群は構想、準備されなければならない。未来は近く、そして遠い。

創業者(2) ”夢”が創った企業

事業創造

 かって事業創造に関わった人たちはあふれるほどの魅力に富んだ人たちである。ホンダ(本田技研)を創業した本田宗一郎、ソニーを創業した井深大の魅力は何万冊の本でも書きつくせるものではないと思われる。特に創業者(1)で述べた本田宗一郎とF1レーサー、アイルトン・セナの出会いと別れ”喪章でのチェッカーフラッグ”は、多くの世界の青年に事業、産業が創られていく場が多くの感動に彩られていることを認識したと思う。
 産業とは”金儲けのロボットが電卓を片手に創るモノ”ではないことを経営史研究、企業者史研究の多くは示している。技術の形成、事業創造、それは産業を、社会を創っていった人たちの”夢と勇気と知恵の涙の物語”である。
 事業創造とは何であろうか。かつて米国で世界一の金持ちになったビル・ゲーツの創ったベンチャービジネス「マイクロソフト」もその一つであると思われる。マイクロソフト社の商品はコンピュータの基本ソフトである。
 主婦のアイデアで始まったのが、洗濯機の「屑取りフィルター」である。洗濯漕のなかに小さな網をつければ、なかなか取れにくい洗濯物の糸屑等がキレイに取れる。大手の家電会社を相手にこの主婦は大儲けした。このようなちょっとしたアイデアで、誰でも作れるが、誰も気がつかなかった事業の創出も事業創造であった。
 牛どんの吉野屋も初めて店を出したときは事業創造であった。新しいやり方で、牛肉を大量に安く仕入、牛どんを大安売りした。貧乏学生でも気楽に安く牛肉が食べれ、大人気になった。牛どん屋なら誰でもできそうである。ただし、思いつきが良くないと成功しない。
 ここで事業創造は以下の3類型に分けられる。

 1.誰もが思いつくが高い技術がなければできないので、まだない。
     新技術  -- マイクロソフト社
 2.誰でもできるが、誰も気がつかなかったアイデア。
     新アイデア-- 主婦の「屑取りフィルター」
 3.商品やサービスはどこにでもあるが、やり方(システム)が新しい。
     新システム-- 牛どんの吉野屋

 もちろん、多くの事業創造は新技術だけ、とか新アイデアだけとか、は少ない。新技術・新アイデア・新システムの組み合わせである。

また、現在の大企業もかつてはニュービジネスから始まっている。

 東芝は”からくりや儀右衛門”と呼ばれた田中久重が明治8年なんと75歳に創業した。田中は幼いときから発明の天才で、天象儀(プラネタリウム)、万年時計から蒸気船まで創った。日立製作所は小平浪平が創業した。東芝、日立は高い技術を誇っている。パナソニック(旧松下電器産業)は松下幸之助が創業した。松下幸之助は家電の大量生産で日本の家庭を見る間に変えてしまった。松下の販売した冷蔵庫、洗濯機、テレビ・・・で家庭は一杯になったのである。ソニーは戦後の焼け跡の中から井深大が創業した。会社設立の目的は「大きな会社と同じことをやったのでは、われわれはかなわない。しかし、技術の隙間はいくらでもある。われわれは大会社のできないことをやり、技術の力で祖国復興に役立てよう」である。アイデアのソニーである。

 日産自動車は橋本増次郎が大正3年創業した快進社から始まる。このときの試作車DAT2号の「ダット」が日産の海外での”代名詞”ダットサンになる。日産は高い技術力で知られる。トヨタは世界の発明王豊田佐吉の長男豊田喜一郎が創業した。豊田佐吉の自動織機の発明は世界を驚かせた。その息子が創ったトヨタ自動車はトヨタ生産方式という世界的に有名な”ムダのない”生産方式で知られる。トヨタは世界で一番安く車を作れる!トヨタの販売力はアッというまに日本を米国と並ぶ自動車王国にした。ホンダは小学校卒で丁稚あがりのアイデアマン本田宗一郎が創業した。オートバイで世界一、自動車でもユニークな車で知られている。

 これを事業創造を既存の企業の創業に対応させ分類すると以下のようになる。( )内は創業者である。

 1.誰もが思いつくが?、高い技術がなければできないので、まだない。
     新技術  -- 東芝(田中久重)、日立製作所(小平浪平)、日産自動車(橋本増次郎)
 2.誰でもできるが?、誰も気がつかなかったアイデア。
     新アイデア-- ソニー(井深大)、本田技研(本田宗一郎)
 3.商品やサービスはどこにでもあるが?、やり方(システム)が新しい。
     新システム-- パナソニック(松下幸之助)、トヨタ自動車(豊田喜一郎)

 「われわれは、オートバイで世界を制覇する成果をあげたのだ。次に4輪車で夢を描くなら真っ先にF1をやろうじゃないか。極限のスピードを追求する、技術的に最もきびしいF1に挑戦しようじゃないか(本田宗一郎、崎谷、1979)」ホンダの創業者本田宗一郎は、製造業におけるジャパニーズドリーム(日本の、若者の夢)であった。

ニュービジネスが生まれる場 本田宗一郎

 ホンダ(本田技研)の創業者本田宗一郎は浜松工専(現静岡大学工学部)の社会人聴講生だった。小学校卒の本田のプラットフォームに浜松工専はなっていった。
 本田宗一郎は明治39年11月静岡県磐田郡光明村(現在の天竜市)で生まれた。父儀平は鍛冶屋で精魂込めて金物を打ち、村では長持ちすると評判であった。儀平は正直一途。他人に迷惑をかけることを最も嫌った。宗一郎は車が大好き。田舎では車はめったに見られない。車が走るといつも追いかけていった。二俣高等小学校をでるとすぐ、東京の本郷湯島5丁目にあった「アート商会」に丁稚奉公。大正11年春15歳であった(崎谷、1979)。
自動車修理業であったが、子守ばかりさせられ、つらい徒弟時代だった。半年ほどたったある日、主人から「今日は忙しくてしょうがないから、こっちへきて手伝え」と言われ、夢かと疑った。大雪の降る寒い日、自動車の下で本田はうれし涙を流しながら夢中で修理を手伝った。「この時の喜びは一生忘れませんよ。」
 アート商会で6年修行。この間主人の榊原侑三がレーサー好きだったこともあり、本田は津田沼航空隊払い下げの航空機エンジンを改造しレーシングカーを作った。いろいろなレースで優勝した(崎谷、1979)。V8型8000cc100馬力のレーサーは「風になった男」本田宗一郎の夢の第一歩であった。
 修行後のれん分けをして貰い、郷里の浜松で自動車修理業を開業。21歳だった。昭和11年、フォードのエンジンを改造、多摩川でのレースで平均時速120kmの新記録達成。ゴール前、修理中の自動車がでてきて激突。空中で3回転。顔がつぶれ、左腕がはずれ、手首骨折。意識がもどったのは病室だった。
31歳でピストンリングの会社を創業。このとき、理論の必要性を感じ、浜松工専に2年通った。これが本田のプラットフォームになった。理論の勉強だけでなく、同窓の通産省の竹島弘がやがて、”運命の出会い”、藤沢武夫を本田に紹介することになる。ちなみに本田は卒業免状を貰っていない。不要と判断した科目はさぼって試験を受けなかったからである(崎谷、1979)。
 試験を受けないと卒業証書は出せないとの校長の発言に、本田はタンカを切った。「そんなもの、映画の入場券よりくだらねぇや。」「映画の入場券なら、絶対確実に映画はみられるが、卒業免状じゃ絶対確実にメシが食える保証はないんだ。」

免許皆伝の書とは何も書いていない 欧州・日本の心

現在ほど戦略的に「名人」「達人」「絶人」が求められている時代は無い。

「絶人」とは、また免許皆伝とはなんであろうか。

 熟練技能者は比較的単純な工具をうまく使いこなし、部品から作り上げる。その時の材料の性質、作業の手順前後、環境等によって、同じ機能を持つ部品でも複雑に異なることになる。この複雑に異なった部品を組み合わせることが巧みなほど一般に熟練度が高いと言われる。
 現物合わせといって、うまくはまらない部品等は、その都度削ったりして、熟練作業者は1つ1つ異なるオーダーメードの高級車を作り上げていく。したがって、ある高級車の部品を他の高級車の同じ部位に組み付けようとしても、うまく組み付けられない。オーダーメードを追求すると部品そのものの互換性がないのである。
 かつて欧州ドイツなどにおける職人、日本においても職人の技法はすべてそのほとんどを暗黙知に頼っていたと思われる。
 日本刀の製作過程はそのもっとも典型といわれる。製作における暗黙知と体力を最高の状態で熟練に結び付けるために、厳しい精神的鍛錬を要求した。一時、企業における職場の目標として「明るい職場」ということが言われたが、戦後の代表的な生産技術者であった故和田栄治氏は「鍛錬の場」として以下のように言っていた。よく飲んで清家もっと勉強しろと怒られた(^^)。

 熟練を考えるとき、明るい職場、楽しい職場といった考えはいかがなものか。真剣な職場、神々しい職場というのが、熟練の基本である。刀鍛冶はしめ縄を張って、身を清め、刀を鍛えたものだ。

このような熟練の場では技術の伝承は暗黙知の共同化によって行われる。師弟関係がその典型であり、その頂点が免許皆伝である。この過程は形式知による結合化をかなずしも必要としない。
 故中原勳平氏は上記の和田氏が大企業の生産技術の代表者の一人であるのにたいして、戦後急成長した中小企業(大企業になったものも多いが)の商品開発技術を代表した一人であった。中原氏は、ヤマハ音楽教室、不二屋「オバケのQ太郎」、マツダファミリア等の画期的なイメージ戦略を企画した。彼は、日本でニッチ市場を開発していった製品と、それに係わった製作者の実践によって淘汰された高い熟練について述べ、結びで「剣術の極意」のメタファーを取り上げた(彼のマンションで酒を飲みながらよく聞いた(^9^))。

 免許皆伝の書とは何も書いていない。そこになにか書いてあればそれは皆伝ではない。

 正確に言うと何も書いていないわけではない。技術に関してはなにも書いていないということである。書いてあることは精神面だけである。
 小野派一刀流の皆伝の書には冒頭に「5匹の猫」の故事(メタファー)が書いてある。このメタファーの含意は、もっともねずみを恐れさせた強い猫にねずみの取り方をたずねたとき、「ねずみとはなにか」と答えたという、ものである。
 まさに暗黙知を高度に発揮させる心境だけを問題とし、技術に関する形式知を集団、特に組織に移転しようとはしていない。

いま世界でもっとも求められているのは「標準化」「絶人」???

2010年11月15日月曜日

経営者(1) 土光敏夫(経団連名誉会長)(2)

 昭和25年、石川島重工は混迷の中にあった。造船業界は海軍の解体、駐留軍の船舶保有量制限により売上げは激減。その上、昭和24年から駐留軍のドッジによって、日本経済自体が資金繰りの悪化による恐慌状態になっていた。ドッジラインである。

 (環境はひどい 戦後の混乱の上に、政府・進駐軍による経済引き締め)

 この困難をいっそう増したものは労働争議である。旧財閥イメージの残る経営陣への不信、将来への暗い見通しは経営者への憎悪を増した。終身雇用を唱える現在の大企業のほとんどが首切りを行った時代である。

 (組織の状態も最悪 従業員はやる気にならない)

 昭和25年、外航船の改造工事で致命的な赤字を出し無配転落。下島勝次社長以下重役陣総退陣。この状況下で土光は社長就任を依頼された。再建は二度目であるし、53才になり経営者として、ほぼ完成に近づいていたと言ってよいであろう。
 給料の遅配までおこっていた。倒産の危機にある石川島はまず浮上しなければならない。次は健全な企業形態への革新である。浮上の為の減量として経営合理化、経費圧縮、営業の強化、生産増強、技術開発の促進が計画された。次の革新の為には将来の石川島の製品の決定が必要。これがなくては減量に方向づけができず、社員に目標(ビジヨン)を与えることもできない。
 造船は極めて不安な事業である。
石川造船所が嘉永6年に設立され幕府、明治政府、民営と続いてきた間、石川島の経営危機の多くは海運業界の世界的な不況の波によってもたらされた。この波は巨大すぎて一企業ではどうしょうもない性質のものである。その度に石川島は造船部門から機械部門へ方向転換しては不況に耐えた。その中でも第一次世界大戦後の造船不況は最大のものであった。それに加えて関東大震災は石川島の総資産の35%を焼失させ、長い低迷期をもたらした。この不況を石川島は産業機械、自動車工業、航空部門への進出で乗り切ることになる。
 今度の再建も造船からの方向転換で乗り越えねばならない(重役、技師と協議)。
 日本経済は戦後の回復期に入っている。そう考えれば国内建設に機械の需要は多い。貿易の拡大は建設の後で、造船の必要はそのまた後である。「今は船は売れない。」

 (予測 時間の予測 もういっとき本業の造船はきびしそうだな)

 結果として、造船ブームは機械工業の設備投資の急増よりも6年遅れた。石川島の方針は正しかった。造船主力の企業は(例えば播磨造船)石川島に昭和33年以降大きく市場で差をつけられることになる。
 この転換の為には研究開発が主導しなければならない。研究開発、技術導入の決定は石川島を陸上機械産業の中心的企業へ移行させた。戦後の社会は生活必需品から順に回復していく。機械は電力、鉄鋼を継ぐ産業となったのである。

 (予測 事象の予測 どの産業から復興していくのかな?)

 この決定の結果に基づき4つの製品系列が選ばれた。新造船、ボイラー、起重機、産業機械である。新造船の需要の不安定さに比べて他の3製品系列は着実な予想の立てやすい(経営しやすい)成長製品だった。この意思決定は時代を先取りするという土光の経営方針の成功例と言えよう。
 再建社長としての第一歩は経費節減の為の伝票、領収書の点検であった。全部の伝票、領収書を机の上におき、重役から係長まで呼んでは、その問題点をあげ議論した。伝票に書かれている結果を問題にはしない。それが作られる過程を点検する。それは伝票を見ないでもできる。聞けばよいのである。答えさせ、そのやり方、考え方を点検する。伝票の問題点とはその伝票が作られた職場と人の問題点であった。答えさせる中から意見や提案も聞き仕事のムダをなくした経費を節減させた。
 これは効果をあげ、「その月から経費、冗費がガクンと減った。たしか十分の一くらいになったと聞いている」といった経理面の効果を出した。しかし、これは問題解決と同時に指示指導の意味を持つ。やがて洗練されチャレンジ・アンド・レスポンスと呼ばれるようになった。土光のOJT技法の一つである。
 再建には管理者と労組(一般従業員)の協力は不可欠である。伝票の点検の際に管理者には協力依頼と意見交換を行なった。次は労組の番である。不信と敵意に満ちた労組幹部と徹夜で何日も議論し、「人員整理は絶対しない」と言明し、協力を依頼した。労使は運命共同体、再建は皆の為だ。再建のいい考えがあったら教えて欲しい。
 土光は権力をふるう人間ではない。自分の用事で人を呼び出すことは非礼だと思っている。したがって頼みたい事、聞きたいことがあれば組合事務所でもどこでも一人で気楽に出かけていって話をする。
 次に引責辞任した役員の中から田口連三(土光の次の社長)のみを再任し、新たに平取締役六名を選らび、代表権は土光一人のみとした。重役の給与は不信を呼ぶ一つの原因である。したがって部長の上位5人の平均額を重役の給与とする。業績回復までこれは明確に維持すると全社に宣言した。この点で従業員の不満がなくなったとは言えないが不信はなくなった。
毎週金曜日に幹部会が開かれる。その時会社中のあらゆる問題をテーブルの上に出さなければ責任は持たないと宣言した。伝票、領収書の点検の延長である。幹部は、仕事、問題に関する、あり方、考え方、やり方、をとことん直される。直さないのなら直す必要がないことを土光に納得させなければならない。毎回、大激論の場となった。このようにして経営合理化は進展した。
 土光社長の就任後、一週間余りして朝鮮戦争が勃発。この予想外の「特需」は造船業界を立てなおし、減量効果も加わって昭和26年からは給料の遅配に悩むこともなくなった。

2010年11月14日日曜日

2年生この前の東京見学の写真を清家まで送ってくれ(^^)

ブログにアップする(^7^)

清家研来週再来週・・トピックス 来週も頑張るぞ(^^)

来週11月17日水曜日午後は富山大学黒田講堂会議室「男女参画・・女性・・・」に参加の予定(^^)
来週11月18日木曜日13:00~富山大学健康看板研究会(^8^)
  11月19日金曜日~11月21日日曜まで日本情報経営学会(熊本学園大学)
  11月24日水曜日午後YKK黒部工場見学 お世話になります!!!!2年生頑張ろう!
  12月9日木曜日12:00~大学院生修士論文中間発表(5階共同研究室)後輩のみなさん聴講大歓迎)
  12月16日木曜日12:00~16:30、4年生卒業論文発表会(4階視聴覚教室)(皆さん聴講大歓迎)

先輩たちへ!!3年生が就職活動です。相談に乗ってあげてください(^^)

2010年11月13日土曜日

創業者(1)本田宗一郎 本田技研工業の創業者

創業のパートナー 二人三脚 理想のパートナー

 本田技研工業は、本田宗一郎と藤沢武夫という個性の強い二人の創業者によってつくられた。本田は小学校卒、藤沢は中学卒であった。本田は技術で藤沢は経営で生涯のパートナーだった。本田技研はオートバイで世界制覇をし、自動車でも世界的なメーカーへと成長した。
 本田42歳、藤沢38歳のときに2人は出会い。本田は「顔を見ただけで、これはいいと思った。ちょっと話をしただけで、ぼくと性格の違う人だとわかったから、すばらしいと感じた。話が進むと、ロマンチックな人だなあと気づいた。高い理想を持ちながら、本当に自分から体を動かし実行するタイプ。自分でやらなければ、きちんと論理を通して、他人に任せる人間だと言うことを、激しく感じた。夢だけを追うような人だったら、感動はしなかっただろう」と藤沢を感じた(崎谷、1979)。
 藤沢は語り合った後に、「こんなものすごい人間、これまでつきあったこともないし、小説や歴史の書物でもお目にかかったことがない」と驚嘆した(崎谷、1979)。

 昭和25年オートバイの輸出商談で、外国人を浜松で接待し、酒宴を設けた。翌朝外国人がトイレに入れ歯を落とした。昔は、トイレは水洗ではない。ウンコはトイレの真下に溜まっている。料亭は大騒ぎになった。本田は裸になって、オチンチンをぶら下げながら、キンカクシからソロソロ下りていった。やがて、「おーい、あったぞ」と大声が上がった。本田は入れ歯を抱え風呂に入り、入れ歯をクレゾールで消毒した。その後、本田はお座敷を設け、外国人に返す前に、入れ歯を口にくわえ踊りだした。大爆笑が広がった(崎谷、1979)。
 遅く目が覚めた藤沢は、この話をきいた。「あたしだったらどうしたか。第一、そんなこと、カネを出して、誰かに頼めばすむことじゃないか。だが、あの男はカネで人を動かすことはしない。しかも、踊りまでおどって、沈んだ料亭の空気をパッと明るくさせる。そのうえ、入れ歯が清潔であることを実証してみせる。あたしにはできねえ。あたしは、この男にはとてもかなわない(崎谷、1979)。」
藤沢の驚嘆はしびれるような心酔に変った。本田と藤沢の理想のパートナー関係はこうして生まれたのである。

経営のパートナー 本田と藤沢

 汲んでも尽きぬアイデアを次々だしていった”世界の風雲児”本田宗一郎。このような人間にはパートナー藤沢武夫が必要である。ニュービジネスを創業する経営者”藤沢武夫”の条件を考えてみよう。

”本田”を支援する”藤沢”の役割について
 
著名な経営学者のフォレット(ちなみにフォレットは女性。女性で経営学の歴史に残った巨人は彼女一人?)は「職務はその職務において最もよく理解し最も意欲をもつものが最も大きな権限をその職務に関して持つべきである」と述べている。経営者”藤沢”が技術者”本田”といった専門家へ「的確な指示と評価」を与えるべきであるという考え方は間違っている、とフォレットの論においてはなる。要するに、本田を好きにやらせろ、といっているのである。
 この考えは、本田は技術者として自分の仕事を責任を持って行っているのだから、その時、本田が自分の仕事に関してやりたいと思ったことを邪魔することは良くない、というものである。
 上記の考え方によれば、現代における技術革新のもたらす情報量の急増と複雑化、人間欲求の多様化によるあいまいな情報の増加、職務の常なる未成熟への対応としてきた専門性の極めて高い職務(例えば、本田宗一郎)の存在の正当性が裏づけられる。
 つまり、現在、ニュービジネスに関してアイデアを出し、仕事を夢中になって行おうとする人間は他の人間には分からない独特の感覚を持っている。彼らの感覚は凡人には理解しがたい。この頂点が技術者本田宗一郎である。それでは経営者藤沢武夫ははどのような形で、”本田宗一郎”へ対応すればよいのだろうか。

ニュービジネス創造の経営学 ”喪章でのチェッカーフラグ”

 F1(世界の自動車レースの頂点)でホンダが大活躍したこと、本田宗一郎の夢の日々を記憶している人も多いと思う。レーシングカー「マクラーレン・ホンダ」のアイルトン・セナはホンダのエンジンで立て続けに優勝していった。セナはF1の輝く星であった。そのセナにとって、オートバイのホンダ、本田宗一郎はあこがれであった。世界のスピード野郎のあいだで”風になった男 本田宗一郎”は今でも永遠の英雄である。初めてホンダに乗ることになって、本田宗一郎に会ったときの感激をセナは生涯忘れなかった。
 ホンダは自動車に進出し、F1で活躍、世界の自動車業界でユニークな車をつぎつぎ生み出していった。本田宗一郎、藤沢武夫は昭和48年そろって引退した。

 そして、若者に夢を与え続けた本田宗一郎にも別れの時が来た。享年84歳であった。本田宗一郎が死んだ、本田宗一郎の生涯の夢F1。1991年ハンガリーグランプリ、セナは喪章をつけて走った。しかし、セナの乗るマクラーレン・ホンダのエンジンが不調。セナは抜群のテクニックでエンジンをかばい走る。エンジンが勝負のF1、勝てるはずのない状況。しかし、セナは走る。憑かれたようにセナは走る。セナは本田宗一郎の思い出とともにゴールへ。チェッカーフラグがふられた。セナ優勝。アナウンサーが叫ぶ、世界が泣いた。本田宗一郎の弔い合戦と言われた。セナ以外勝てないレースと言われた。セナの眼が印象的だった。
 本田宗一郎の最後の思い出を飾ったセナ。そのセナも、その後を追うようにやがて、無念の事故でF1の露と消えた。しかし、いまも、ニュービジネスを志す若者の心に、世界のスピード野郎の心に本田宗一郎は生きている。

ニュービジネスで、”本田宗一郎”を活かしていない場をよく見かける。

 経営管理者は、ニュービジネスを起こす”本田宗一郎”が理解できないとき、どのような行動をおこすか。一般には以下の二つが考えられる。その一つは、むやみに報告、会議を強要することである。それは経営組織の活動とは、まったく無関係である場合さえあり、度を過ぎると専門職能を確立した組織講成員の職務活動を妨害し、彼らの経営管理者への信頼感を喪失させるものとなりかねない。ただ経営管理者は単に知識を求めたいだけなのだ。本田宗一郎にしゃべらせれば、管理が容易になるのでは、との思いこみで会議・報告を繰り返すだけなのである。しかし、ニュービジネスを創造するような人間の話を凡夫がいくら聞いても時間の無駄である。
 もう一つは、予算と人事権の乱用である。これは組織講成員の意欲を削ぐだけではなく、無理解に行為によって、せっかくの職務システムを破壊してしまうことになりかねない。予算と人事権の乱用によって経営管理の主導権を回復しようという試みは企業全体の活力を低下させる。

専門家の動機付けと成長

 アージリスは人間を”発展する有機体と規定し”正常な組織構成員は7つの以下の次元において成長の傾向を示すと指摘している。
 (1)受け身の状態から能動的積極的になっていく傾向。
 (2)他人に依存する情況から独立の状態に発展する傾向。
 (3)数少ないわずかの方法でしか行動できない状態から、多様な方法で行動でき    るようになる傾向。
 (4)その場限りの浅い興味から、無限の深い興味を持つようになる傾向。
 (5)短期の展望から長期の展望へ発展する傾向。
 (6)組織の中で従属的地位にいることから、同僚に対して同等または上位の位置    を占めようと望む傾向。
 (7)自己意識の欠乏から、自己意識と自己統制を持った人間へと発展する傾向。

 フォレットによれば、強圧的に発せられる専断的命令は、下記の弊害を持っている。

 ① 指示を受ける人々から獲得しうる貢献(提案・助言)を失う。
 ② 人間の自律的欲求に反するために、発令者と受令者の間に摩擦を惹起しやすい。
 ③ 自分の仕事への誇り、興味を失う。
 ④ 責任感を減退させる。

 専門的に極めて優れた職能を持つ組織講成員にとっては、このような専断的命令の弊害は特に顕著にあらわれると思われる。専門職能的に優れた人間の職務は、ごく小数の関連領域の研究開発等を担当するものしか理解しえない故に、的確な指示を与えることは困難である。このことは逆に的確な職務の監視が困難なことを示している。つまり専門的に優れた職能を持つ者は、積極的な組織行動をおぎなえば、経営管理者の予想を越えた成果を上げることができ、また、消極的に組織行動を行えば、誰にも気づかれず、誰からも否定的な評価を受けることなしに、予想外の低い成果で職務を完結させることが可能であると考えられる。

経営者(1) 土光敏夫(経団連名誉会長)(1)

経営者 土光敏夫

 現在の日本、世界では大企業を抜きにビジネスを考えることはできない。ニュービジネスを起こす人の半数が大企業のスピンオフとも言われている。また、主婦、学生にとっては大企業は未知の存在である。また、21世紀、一人企業と相互進化するかも知れない。したがって、戦後日本の名経営者のひとりで「荒法師」、「清貧の士」、「企業再建の名人」といわれ、広く国民に愛された土光敏夫氏を通して経営の基礎知識、大企業の再建を勉強する。再建は、ニュービジネスを志す人間の”必修科目”でもある。
 荒法師とは永野重男氏(元日本商工会議所会頭)が土光敏夫氏(経団連名誉会長)につけたニックネームである。他にも、ミスター合理化、経営再建男、戦闘的経営者、モーレツ社長、超人・・・イヤハヤ、たくさんある。ボロ屋に住み、ニボシを好む雲水のごとき経団連会長。朝日新聞が「清貧の士」と称え、毎日新聞の記者が「初対面だが、ぼくはあなたのファンです」と告げた。第二次臨時行政調査会の会長に選ばれ、「大増税にあえぐ、国民の熱い視線が土光さんに注がれている」と読売新聞は形容した。産経新聞は行革に取組む土光氏を「国を憂える青年の瞳」と讃えた。土光氏は財界人の中で国民的人気を持った唯一の人であったと言って過言ではあるまい。

経済人の道

 土光は、岡山県に明治29年生まれた。現在、岡山市に編入された岡山県御津群大野村である。大野村は日蓮宗の信仰の厚いところとして知られ、平凡な農家の長男として育った。父は優しい性格で日蓮宗の信仰が厚く、母は男まさりのきつい性格で共に熱心な信者であった。東京高工(現、東京工大)を卒業後、石川島造船所(現、石川島播磨重工)に入社。その点で、一高、東大と進んだ石坂泰三(経団連名誉会長)らのエリートコースとは異なっている。
 進学も順調とは言えず中学、高工入試で四度の挫折を経験したように優等生でもなかった。だが、世の成功者の言にあるような「エリートコースから、はずれた悔しさを人生の糧にした」とか「成り上り」といったタイプではなかった。タービンのエンジニアを志ざし、技術でもって社会に奉仕したいと願う活動的な青年。人生哲学を語り、本の好きなバイタリティのかたまりのような青年であった。
 今里広記(元日本精工会長)は言う、「あの人ぐらい私利私欲がなく、正義感に燃えしかも、くったくのない人はいない」。永野重雄(元日商会頭)「信念があって正義漢。それでいて暖かい人間味がある」。牛尾治朗(ウシオ電機社長)「土光敏夫さんは人間として尊敬に価する先輩である。私利私欲はなく・・・。財界人の中で土光さんくらい清潔な人はいまい」。このような土光像は当時芽生えていたと思われる。以後、石川島芝浦タービン、石川島播磨重工、東芝と社長を歴任、経団連会長と日本の経済人として頂点に達した第一歩である。
 大正9年、卒業するまで学資、生活費をすべて家庭教師のアルバイトでまかなった土光であったが、苦学の中でも人間に幅と奥行きを感じさせ、クラスの衆望を一身に集める親分的な性質も持っていた。資本論を読破したのもこの項である。
 23才で、大正9年石川島造船所入社。大正11年、陸上タービン技術習得のため、スイス留学。2年後帰国。すぐに上司の栗田金太郎取締役の長女、直子と見合い結婚。栗田は当時、石川島の実質的な最高権力者であった。カミナリ親父で技術者出身の合理主義者として土光に大きな影響を与えた。
 その後、石川島芝浦タービンが石川島と東芝の前身である芝浦製作所によって設立され、土光は技術部長として乗り込み、昭和12年、取締役に就任した。その後、石川島芝浦タービンの社長に戦後すぐ任ぜられ、最初の再建がおこなわれた。この再建に成功した後、親会社石川島の再建を要請される。その石川島再建の際に経営者としての土光が確立されたと思われる。
 昭和30年代、造船業界再編成のはしりとなった石川島重工(戦前の石川島造船所が改名)と播磨造船の合併では、長期ビジョンの作成、会社への徹底、組織設計への展開において卓抜したやり方を見せた。
 昭和40年代、生涯最大の仕事となった東芝の再建が行ない、その後、経団連会長を務め、経団連名誉会長として行政改革(第二次臨時行政調査会会長)に挑んだ。

経営計画 

 経営計画は環境の変化の中で行われる。「経営環境よりの情報収集」・「経営問題意識」・「経営問題の規定」・「経営課題の規定」・「経営計画の策定」の5ステップである。

 情報収集・・・・・今、企業がどのような状態かを知る。
 経営問題意識・・・なんとなく困ったなと感じる。
 経営問題の規定・・何が問題かが明確になる。
 経営課題の規定・・何をしなければならないかが明確になる。
 経営計画の策定・・具体的に誰が何をすれば、課題が解決するかを決める。

 この5ステップを土光敏夫を例に考えて行こう。
 石川島芝浦タービンで最初の再建を行なったとき、土光は49才であった。昭和21年、戦後の敗戦処理のための社長就任である。この経営者への転進は土光の本意ではなかった。「ぼくは最大の犠牲者だよ。日本一のタービンの設計者になる事が夢だったんだ。」「人のいいところがあるから、何となく押しつけられた。経済界に60年いるが自分から希望してやったことは何もない。」
 インフレ下の再建は困難を極めた。作るものがないのに従業員の生活は確保しなければならない。資金繰りは苦しい。

 (情報収集から経営問題の規定までがこの間土光の頭の中で行われた)

 ここで、土光は「社会に役立つ企業は社会と時代が生かしてくれるはず」という理念を重役会で徹底させた。

(経営課題の規定)

 その考え方で製品が選択され、その中から採算に合う計画が採用された。

(経営計画の策定)

 その計画を持って金融業界、政府(補助金)へ陳情を開始した。「社会は〇〇を必要としている。それを作るために金を融資して欲しい。」土光は押しに押した。土光の熱意と行動力が銀行、霞が関に鳴り響いた昭和24年には再建は成功した。

経営戦略

 経営戦略は「予測」と「環境」と「組織の状態」の3要素で作られる。

予測・・・・・・未来についての見通し。以下の3つがある。
          「時間」を予測する場合・・・いつ起きるの?
          「事象」を予測する場合・・・何が起きるの?
          「度合い」を予測する場合・・どの程度そうなるの?
 環境・・・・・・戦略は相手があって始まる、競争企業や経済の状態が当然考えにはいってこそ、競争に勝てる。
 組織の状態・・・夢も予測も環境もOKでも、やってはいけない場合がある。         
それは、能力がないのに夢のようなことを、考える場合である。野球のピッチャーでここは「速い球を胸元に」投げれば絶対と思っても、遅い球しか投げられなければしかたがない。

 さて、石川島芝浦タービンを再建した土光は、その後どうなって、どのように経営戦略を展開したのであろうか。        

2010年11月8日月曜日

清家研究室富山宴会11月10日(水)夜 

OBの方、院生、ゼミ生その他、富山市「花の舞」で宴会をやります。
どんどん参加してください。

東京で三菱電機、富士通見学後3次会まで・・・、その後また富山で水曜日宴会・・・(^8^)
飲めなければ清家研究室ではない、なんてことはありません。

次はYKK工場見学、頑張ろう!!!

清家

2010年11月7日日曜日

清家研究室先輩シリーズ(3)東京OB会最高顧問北方先輩

北方隆士先輩の最新ブログ
http://tks1004mnk.blog91.fc2.com/blog-date-201009.html
から下記全文引用しました。北方レポート最高ですね。

投資事業会社幹部の真面目な北方先輩はこの最新ブログで理解!

めちゃ楽しい北方先輩は
http://tks1004mnk.blog91.fc2.com/blog-date-20100402.html
http://tks1004mnk.blog91.fc2.com/blog-date-201006.html

(清家研究室東京OB会「最高顧問北方隆士」先輩の北方ワールドを楽しんでください)

9月10日~12日の3日間、中国の温州市にて2010年秋季不動産フェアが
開催され、出展してきました。
約4万人が来場され、3日間とも常に大勢のお客様が弊社のブースへ足を運び
投資ビザや海外送金、今の日本の相場などを質問される方が多かったです。
日本企業は弊社1社だけでした。
また、この不動産フェアには、90%以上が中国企業の出店でありましたが、
海外勢としては、カナダ、スペイン、オーストラリア、香港なども
出店されていました。
その中でもカナダのブースは、本当にお客様も多く、にぎわっていました。
何故かといいますと、35万カナダドルの投資を行うことによって、
グリーンカードが発行され、ビザの問題が解消されるのです。
またさらに驚いたことに、教育費や医療費なども免除されるのです。
カナダとしては富裕層の中国人を誘致し、内需拡大の起爆剤にしている
のかもしれませんね。
中国のなかでも温州の方々は、不動産に対して非常に興味を
もっていらっしゃいます。
温州商人という言葉をどこかで聞いたことがあるかと思いますが、
集団で行動し、不動産を買い漁り、そして不動産価格がつりあがった
ところで売却し、また他の物件を買いにいき、利益をあげていきます。
また温州は、元々山に囲まれて世間と隔絶しており、
政府からの支援も無い地域だったが、日用品や皮革製品を製造販売する
ようになり、それを元手に非常に豊かになった地域でもあります。
温州市にも高層マンションが立ち並び、不動産取得の需要も高い事から
数年前までは2~3万元/㎡だったものが、最近では4万元/㎡(坪180万円)
と非常に高くなってきている。
農地は次々に住宅になり、投機が激しくお金があっても容易には買えない
状態になっています。

富裕層になった表れか、近年の中国では海外移民の人気が急増しています。
2010年の移民者数は昨年比30%増!
中国人移民者の多くは、カナダ・オーストラリア・米国へ流れていってます
2009年のオーストラリアでは7000人も移民された!
富裕層が移民する大きな理由は、良好な生活環境と子どもへの教育環境。
また、中国の治安に対する不安もあるみたい。
文化大革命の時のように、中国政府がいきなり国民の資産を取り上げる
かもしれない恐怖は、心のどこかにあるんだろうなあ。

資産の流出額も増加し、ここ3年で少なくとも170億元(2210億円)の資産が
海外に流出するという異常事態。

資産の流出
1.カナダへ年20億元(約260億円)
2.オーストラリアへ年20億元(約260億円)
3.米国へ年18億元(234億円)

各国は移民条件を引き上げることも視野に入れているらしいけど
これは人材や資産が流出していることを懸念している中国政府
からの要請なんじゃなかろうか。

たとえば、カナダへの移民条件として「40万カナダドル(約3200万円)以上の投資」を
今後は「80万カナダドル(約6400万円)以上」にしたところで、本当の富裕層に
とっては痛くもないんじゃないかな。

清家研究室先輩シリーズ(2) 青野先輩 イオンのホープです気楽紹介

青野君勝手に紹介ごめんね(清家)メールの後輩へのメッセージも含めて全文引用。ごめん
後輩ゼミ生、先輩に相談のある人は、メールでお願いご連絡。優しそうな先輩から紹介している?(笑)

先輩への連絡メールを知りたいゼミ生は、総ゼミ長、各学年ゼミ長ーー>清家まで

清家



先日はご招待いただきましてありがとうございました。

なかなか刺激的な出会いもあり、楽しかったです。
2年程ぶりの先生とのお話も非常に刺激になり、貴重な御機会
をいただきましたことに感謝致しております。
また同じような機会がございましたら是非またお声お掛け下さ
いますようお願い申し上げます。
先生の御呼びとあらば、仕事の許す限り、何時でも何処へでも
参りますので、ご連絡いただければ幸いです。

また、業務で北陸へ行く際は富山大の方へも立ち寄り、
後輩達の役に立てる事があれば、協力させていただきたいと存
じますので、ゼミ生達にもよろしくお伝え下さい。

まだまだ若輩者ですが、今後ともご指導の程よろしくお願い致
します。


青野


イオンリテール株式会社 神奈川事業部
ジャスコ藤沢店 水産主任 
江ノ島・小田原市場 担当
青野世輝
【携帯】090-7364-0909
【VPN】0466-88-4479
♪♪sinnging aeon♪♪sinnging aeon♪♪

清家研究室先輩シリーズ(1) 松原(北陸のイエローハットなど社長)

松原さん勝手に紹介(清家、すみません)、実は千葉大学大学院の留学生をご紹介した際のメールを全文引用させてもらいました。松原先輩に教わりたい人は、ものすごく忙しい方だから、お邪魔にならいように(^^)



初めまして清家先生より紹介頂いた松原隆光です。
富山大学大学院 企業経営学で清家教授の基に修士を取得しました。その修論で「社用車ソリューション・ビジネスモデル」を研究し
また、ビジネスモデルとして特許も取得、今年には経済産業省の配下(サービス産業生産性協議会)より「ハイサービス日本300選」を受賞いたしました(詳細web でもみれます)。私自身は富山県石川県でカー用品販売イエローハット店を7店、自動車メンテナンス工場3店、PC教室、を経営してます。仕事が自動車関連であり、私の分かる範囲での情報提供はいたしますから、どうぞ気軽にメールください。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松原 隆光
株式会社 ピア
富山市太郎丸西町2-6-12
(076)422-0088
matsubara@pureg.jp
http://www.pureg.jp
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2010年11月5日金曜日

三菱電機磯貝様有難うございました

磯貝吉男 殿

ご多忙のところご高配深謝いたします。
院生、学生たちが大変御世話になりました。

環境事業経営は世界的な大規模事業となる予感を感じておりましたが
その中で、三菱電機という
世界的メーカーのグローバル環境製品から
草の根の里山ボランティアまで
多様多価値で素晴らしくかつ楽しいご講義でした。

院生、学生たちも三菱電機の果たす役割の大きさを実感として感じることができました。
田村くんなど特に感激していたようです。

現在、私は、環境政策、事業研究を名古屋大学環境学研究科を続けております。
ご指導よろしくお願い申し上げます。


清家彰敏
 富山大学大学院MBA教授・中国政府社会科学院特別高級研究員。
 携帯電話09024351152seikeakit@ezweb.ne.jp
 北京大学客員教授、日本財務省財務総合政策研究所特別研究官、経済産業省委員、科学技術庁科学技術政策研究所客員研究官など歴任、中国国務院国研・スタンフォード大学経営者教育計画特別顧問、北京大学国際大会実行委員長、名古屋大学講師など併任。著書に『中国企業と経営』『危機と共生』『日本型組織間関係のマネジメント』『顧客組織化のビジネスモデル』『進化型組織 』など。財務省広報誌、NHK情報ネットワーク誌など連載。

2010年11月4日木曜日

明日11月5日(金)富山大学清家ゼミ2年生は富士通の見学です。

今日の三菱電機は最高でしたね。

2年生は将来の就職のイメージがちょっと湧いてきたかな?

明日は富士通頑張ろう。

夜は、東京の清家ゼミOB・OGが品川で大歓迎(^^)してくれます。

総合商社モデルと開発営業・循環

総合商社は

米国穀物メジャーのような「遺伝子による上流支配(原料)で」原料を技術革新して支配を深めていくのではなく、
下流(小売・食品会社)がお客のニーズに応えやすいような原料を開発していく。

世界の人々がマクドナルドとコカコーラばかりの生活をするならコーンと大豆に重点をおき、遺伝子による原料革新を繰り返す米国穀物メジャーがよい。

小麦・コメを中心とした豊かな食文化を行うには以下の「ボトムアップの日本型新食品開発プロセス」が優れている。

開発営業=ボトムアップの日本型新食品開発プロセス(プロセスから循環へ)

①顧客の好みをコンビニ(セブンイレブン、ローソン・・)、スーパーマーケットと一緒に日清製粉、キリンビールなどの研究者が調査し、共同で「原料」から考えた食品群を無数に作りだし、お客の好みを販売する

②無数の食品群の販売状況を総合商社は分析、もっとも食品群に合った多くの「原料」群を研究所に研究、改良、開発させる(コンビニ・スーパーマーケット情報の利活用が鍵)。

③世界の農産地に「原料」となる作物を生産させ、輸入し、菱食、国分、日本アクセスなどに日本で流通させ、日清製粉、キリンビールなどへ供給する。

④その改良された「原料」を使ってコンビニと日清製粉などの研究者が新食品を開発する(①繰り返し)

穀物メジャー(カーギル・・)と総合商社モデルの相違

穀物メジャー(カーギル・・・)
①経営陣・戦略部門・大学・研究所でコーンを遺伝子組み換えさせる。(ここが最強)
②種子の知財を支配
③世界中の農地にコーンを栽培させ量産
④世界中に供給しハンバーガーとコカコーラになる。

総合商社
①顧客から農地までのプロセスを循環させる仕組み作り。
②ローソン、菱食、キリンビールがやりやすい仕組み
③支配はしない。(サッカー?)のように仕組を作る
④ローソンとキリンビールのチーム「部会」(ここが最強)

構造と戦略の経営が米国、結果が全て?

プロセスと循環の経営が日本 

例えば、「食品の鮮度管理が常時しっかりできていればクレームが減り、お客が喜び売上が増え、社員がやる気になり、もっとしっかり鮮度管理をするようになる」、このプロセスと循環を「好循環」という。

このプロセスと好循環を社内に出来るだけ多く増やすことが日本型食品物流経営

この仕組みづくりが総合商社モデル

グローバル日本型経営 4倍速経営のイメージ

グローバルな日本型経営の競争力は

1.開発営業+トヨタ型生産物流
2.トップによるプロセスから循環への昇華?
3.スピード経営

の3本柱

グローバルスピード経営研究会
 日本企業は、グローバル競争においてスピードで劣ると言われております。特に新製品開発、顧客に届けるスピード、サービスのスピードを求められています。1980年代日本の自動車産業は欧米の2倍以上のスピードで車種開発、生産を行い、世界企業を凌駕しました。4倍のスピード開発は4倍の製品投入と収益性を可能とします。若手リーダー、技術者、マネジャーは4倍のプロジェクトを経験、成長できます。新興国は今後急成長し10億戸以上の住宅建設が予測され、新幹線、高速道路、スマートグリッド、水ビジネス、原子炉、環境への膨大な投資が行われます。しかし、スピードが遅いとビジネスチャンスを逸します。
 この研究会では、開発・生産・営業のスピードは「早い・速い・疾い」の3種があり、①情報通信②トヨタ生産方式などの経営手法③プラットフォーム構築などにより加速を試みます。また、新成長戦略の理論と実践をつなげる場として、参加企業と講師との間で「4倍速経営への挑戦」について討議し、さらに「日本型スピード経営システム」の開発にまで繋げたいと思います。そのために、国内外の企業の実務家と第一線の大学研究者・コンサルタントを提言者として迎え、提言者と参加会員による徹底した質疑・討議を進めます。さらに参加企業の課題発見・解決に役立つことを目的として、コーディネータによる総括的なコメントを提供いたします。異色の最先端優秀企業の参加など、グローバルスピード経営のための「多角的な人的ネットワークの構築と活用」を大きな目標としております。
 この度、新たな研究会を立ち上げる機会に、広くご案内申し上げます。

本日富山大学経済学部2年生は三菱電機見学です。