大蔵省主計官機能の変遷と経済成長についての史的考察
――相沢英之元大蔵(現財務)事務次官・矢野俊比古通商産業(現経済産業)事務次官等オーラルより
清家彰敏(ハリウッド大学院大学教授・富山大学名誉教授・元財務省財務総合政策研究所)
本研究では元国務大臣・元大蔵事務次官相沢英之氏(1)に対し、2009年~2013年まで34回×2時間のオーラルを行った(伊藤隆東京大学名誉教授と2人で行い、今後国会図書館憲政資料室に永久保存の予定である)。オーラルの目的は日本の過去の経験が新興国などの今後の発展に役に立つのではないか、との国際知識移転の考えに立っている。
本報告は、特に大蔵省(現財務省+現金融庁)主計局主計官と日本経済の成長、イノベーションに関わる部分についてのみ限定し、経営史の視点での分析を進め、末尾にて今後の日本経済における提言も行う。
1945年後~1970年代まで
相沢氏によると、昭和20年代主計局が予算、財投、銀行融資を全部掌握していた。主計官は、戦後から高度成長期、安定成長期にかけて、産業競争力に関わるプロジェクトに、必要資金(原子力発電所なら1兆円にものぼる)を予算(金利ゼロ)、財政投融資(低金利)、銀行融資(市中金利)、民間投資から供給すべく査定を行った。
この査定によって、プロジェクト、企業の債務などの返済の負担が大きく変わってくる。それは高度成長のエンジンである企業経営者、管理者の挑戦意欲と行動に大きな影響を与えた。主計官の査定は、通商産業省(現経済産業省)など各省庁の原課の要求を通じて産業をドライブし、競争力を形成してきた。プロジェクトの規模総額を大きくするには、返済義務のある融資・借入の比率を増やせば大きくなる。その査定が戦後の産業競争力形成に繋がった。
最先端技術、最有望市場を狙ったインフラ、設備投資は、主計官の査定において好印象となる。主計官は、投融資ミックスで、返済義務のない予算、金利の安い政府系銀行の財政投融資の比率を高くし、プロジェクト、企業の返済負担を減らす。これが、主計官が日本の産業競争力を作り上げることに貢献してきた構図である。
相沢氏によると、主計官は多能化し、柔軟な組織構造、職務割り当てがなされているなど、その制度と機能は、組織論、組織間関係論で説明できる可能性がある。財政民主主義で憲法、法律、政令などに縛られる官僚組織の中で、主計官の柔軟な職能が効果的に機能した。
主計官の職能は、柔軟なだけでなく、相互にオーバーラップするなど職務の境界が曖昧になること、職務において代替性を持っている。現在世界の民間企業などに見られるプロジェクト組織、マトリックス組織、ネットワーク組織にも対応しうる柔軟さで特長づけられる(参照:清家彰敏著『進化型組織』同友館)。
また代替性は、「職務の多能化、汎用化は競争をもたらす」につながり、主計官の相互の競争による職務レベルの向上にも繋がった可能性がある。民間企業などに比較して、憲法、法律、政令の縛りがあるため職務が硬直的になると考えられてきた中央官庁局課の査定において、上記の柔軟な職能を持った主計官制度が果たしてきた役割は再評価されるべきである。硬直的な各省庁を柔軟な主計官が査定する。これは絶妙な補完関係となった。
伊藤隆名誉教授と、通商産業省の元事務次官矢野俊比古氏(2)へのオーラル第1回2009年11月12日~42回2012年12月7日まで時間84時間を行った。
矢野氏によると主計官と通商産業省産業資金課長は連携した。産業資金課長の職務は、通商産業省の原課が補助金、出資となると一般会計に要求し、主計局へ持って行く。金利が付いてもいいような事業。融資は日本開発銀行(現日本政策投資銀行)などから行う。「借り手」である企業から通産省の産業資金課がまとめて大蔵省の理財局資金課に持っていく。銀行はより高い金利であるが、財政投融資がついた段階で融資を行う。
「開銀がいいのなら、政府がいいと言っていれば俺も安心だとやった。自分たちの銀行審査権を放棄しているということなんです。(矢野オーラルより)」。カウベル効果である。
伊藤大一は大蔵省内という同一組織内に歳出の主計局と歳入の主税局が存在し、情報を独占し、情報の非対称性によって大蔵省が他省庁、政治家に対してアドバンテージを持ったとしている。これは大蔵省主計官の自律性を高め、その結果、上記の投融資ミックスを可能とした。伊藤太一は通産省が業界との産業ネットワークからの情報をもち、大蔵省が銀行からの金融ネットワークからの情報を持っていたと指摘し、主計官はその2つのネットワークからの情報の結節点であり、2つの情報を統合できる存在であったとしている。
しかし、相沢オーラルでは、銀行局は主計官の査定に関してオブザーバーでしか参加していない。
1980年代以降、
政府によって、予算作成機能の大蔵省からの分離が唱えられた(このような考えは戦前からあった)。1980年代以降ベンチャー投資ブームが起こった。
これ以降、成長への投融資ミックスにベンチャーキャピタルが加わった。この主役は通商産業省である。この結果、成長先への投融資ミックスは予算・低利融資・高利銀行融資・ベンチャー投資の4つとなった。
その決定において、投融資ミックスの決定権限の一部が、大蔵省主計官から通商産業省へ移った可能性がある。
その1つの事例が産業基盤基金である。産業基盤基金はNTTの民営化による発生した株式売却収入を原資として、産業投資特別会計が出資して1986年設立された特殊法人で、通商産業省はこの基金を利用して研究開発等への出資を行った。
並行して、大蔵省が解体され、護送船団方式への内外の批判と行政改革により、財務省、金融庁に分離し、予算・財投と銀行融資の分離が起こった。
上記の主計官から経済産業省への投融資ミックスの決定機能の変遷は、
1.新興国の
今後の政府構造の企画、将来変化の予測に、役に立つのではないか
2.日本政府の
将来の意思決定システムの構造を企画する資料になる
と思われる。
1.新興国の
今後の政府構造の企画、将来変化の予測に、役に立つのではないか
2.日本政府の
将来の意思決定システムの構造を企画する資料になる
と思われる。
(1)相沢英之氏:
1954年主計局主計官、総務課長-近畿財務局長-主計局次長-経済企画庁長官官房長-理財局長-主計局長-1973年大蔵事務次官-1976年12月衆議院議員-1990年2月国務大臣経済企画庁長官-2000年国務大臣金融再生委員会委員長。相沢氏は、田中角栄元総理大臣と同年齢でオーラルの近現代史的価値は極めて大きい。
(2)矢野俊比古氏、