2019年3月25日月曜日

科学技術政策における国家財政・金融視点からの試論


科学技術政策における国家財政・金融視点からの試論
   
   清家彰敏

1.緒言

日本の科学技術研究開発予算と科学技術への投融資の意思決定システムは、政治家・官僚だけでなく研究者を志す若い人にとって、政治と連携する企業の経営者、技術者にとって大きな関心である。また、これから高度成長しようとするインド、安定成長に移行しようとする中国にとっても関心が高い。日本政府の科学技術政策における意思決定システムは、高度成長期・安定成長期における大蔵省による護送船団・官僚主導の科学技術政策から、低成長期における安倍晋三総理の競争市場・政治主導の科学技術政策へと変化してきている。
科学技術政策は文部科学省、経済産業省、厚生労働省、総務省などの政策が加速し、財務省主計局が減速させるといった印象がある。現に同じ科学技術テーマであっても、文部科学省と財務省では正反対とも思える政策理解を感じることがある。世界的に総理、大統領、主席のリーダーシップは強まっている。安倍晋三内閣、ドナルド・トランプ大統領、習近平主席、ウジミナール・プーチンの科学技術政策には共通点がある。科学技術関係者に対して、強いリーダーシップで年初に目標付け、年末に評価し、フィードバックをかける総理、大統領、主席である。
日本における科学技術政策の今後について、論じる構図は科学技術政策を①研究者の立場、②財政・金融の立場、③小泉内閣(財務省主導)、④安倍内閣(経済産業省主導)である。①のプレイヤーは科学技術会議、②のプレイヤーは財務省主計局主計官、日本政策投資銀行等、③のプレイヤーは小泉総理と財務省丹呉奏健[1]他、理財局財投、④安倍総理、菅官房長官、経済産業省今井尚哉[2]他である。丹呉はその後財務省事務次官などで遇されたが、今井の今後は明らかではない。過去の大蔵省(現財務省)の事務次官のオーラルと現在のホームページについての解釈をも参照し論じる。

2.科学技術予算決定のメカニズムの歴史的変遷

日本の科学技術研究開発は政府と企業経営者によって計画される。研究開発資金は予算と投融資の合算である。日本では国家主導の科学技術研究が2割、民間主導の科学技術研究が8割と言われている。ドイツの割合もほぼ同じである。国家主導の科学技術研究は予算が中心で、民間企業の研究開発は投融資、金利、投資リターンを考慮する。
世界の科学技術を牽引する国家として、日本、米国、ドイツ、中国の存在は重要である。米国においては、覇権国家の最大の機能としての軍事の要請と世界の覇権企業経営者の科学技術戦略が大きなウエイトを占め、予算と投融資が加算され研究開発総額が決まる。中国においては、共産党指導ですべての研究開発資金が計画されなければならないが、投資とリターンのビジネス発想と共産党評価によるフィードバックが支配的である。日本政府は、国家的な視野、世界との研究開発競争の中で、研究開発予算と投融資を管理する必要がある。特に米国、中国、ドイツとの競争、棲み分け、連携などの発想が不可欠である。
日本政府の科学技術政策の究極の目標というのは、官僚的統制とか学界の階層的権威といった、息の根を止めるような犠牲を払うことなく、かつ学者の個人的権力とか自己保存などに研究努力を集中することなく、世界的な規模と多様性が持つ研究環境を引き出すことのできる研究者を創りだし、世界をリードすることである。
元国務大臣・元大蔵省事務次官相沢英之氏[1]に対し、オーラル第1回200958日~342012611日まで34回×2時間=聴取時間68時間、元参議院議員・元通商産業省事務次官矢野俊比古氏[2]に対し、オーラル第1回20091112日~422012127日×2時間聴取時間84時間を行った(伊藤隆東京大学名誉教授・近現代史と2人で行い、今後国会図書館憲政資料室に永久保存の予定である)。また本稿は、相沢氏の加筆修正とキャッチボールで確認することができた(2016年)。大蔵省主計局主計官と科学技術への予算・投融資ミックスは以下である。
高度成長期から安定成長にいたる時代の日本政府の科学技術政策はキャッチアップ[3]から80年代以降基礎研究志向へ転換し、21世紀におけるノーベル賞受賞者の輩出へ繋がり、世界でもっとも成功した政策とも考えられる。1951年日本開発銀行(政府全額出資:現日本政策投資銀行)が設立され、日本興業銀行、都市銀行などと欧米の科学技術をキャッチアップするための研究開発への投資、インフラ、企業への融資を行い、高度成長期を支援する科学技術政策が始まった[4]。当時の融資はインフレ率より金利が低い低利融資であった。借入金の支払い利息が法人税で損金参入されるという政策も融資の伸びに貢献した。また80年代の企業の研究開発投資への税制優遇も科学技術振興に貢献した。現在この政策を中国政府は模倣している。
科学技術関連省庁を査定する主計官は、産業競争力に関わる科学技術開発プロジェクトに、必要資金を、予算と投融資ミックス(低金利政府系金融、高金利銀行融資、民間投資)を考慮し、査定を行った。査定によって債務返済負担が変わるため、経営者の研究開発への特に海外に対する競争力を期待できる最先端研究への挑戦意欲に大きな影響を与えた。
主計官と通商産業省産業資金課長、銀行は連携し、高度成長時代、科学技術開発のための資金量の確保で企業の手助けをすることが可能となった。産業資金課長の職務は矢野氏オーラル[2]26回によると「通商産業省の原課は補助金、出資となると一般会計から要求する。金利が付いてもいいような事業、融資は日本開発銀行などから借りる。通産省の産業資金課がまとめて大蔵省に持っていく。銀行はより高い金利であるが、財投がついた段階で融資を行う。日本開発銀行がいいのなら、政府がいいと言っていれば、俺も安心だとやった。」である。相沢氏によると、昭和20年代主計局が予算、財投、銀行融資を全部掌握していた。主計官は、国家プロジェクトに関して、予算、財政投融資、銀行融資を使い分けていた。なお銀行の短期金利は日銀が担当し、長期金利は大蔵省が担当した。
鉄鋼業は、最新技術を追求した大規模設備と投融資における借入の比率の大きさが産業競争力と企業間の激烈な競争の原因となった。借入金の大きさは損益分岐点を押し上げ、高い操業度でなければ利益が出ない。操業度を上げるために、最先端技術を追求、最有望市場の開拓を優先する。その結果、投資の矛先は時代ごとに刻々と変化せざるをえない。企業は矛先をどちらへでも柔軟に変えうるように、多能かつ同質な組織になっていく。多能で同質な企業は棲み分けができないから相互に猛烈な競争を繰り広げる。投融資における借入金の大きさは、造船、自動車、石油化学、電機業界、建設業などにも見られ、日本産業の特徴となった。この特徴の形成に主計官の投融資ミックスの影響が大きかったと思われる。
最先端科学を志向し、最先端技術、世界市場を狙ったプロジェクトは、主計官の査定において好印象となる。主計官は、投融資ミックスで、予算、金利の安い財政投融資の比率を高くし、研究開発志向の企業、特に業界のリーダーシップを取る企業の返済負担を減らす。これが、主計官が日本の科学技術政策を牽引に日本の競争力を作り上げることに貢献してきた構図である。この構図は運輸における国有鉄道、通信における公共情報通信、金融におけるコンピュータ投資にまで及んだ。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の財投は研究開発の基礎、応用、開発段階では、開発を対象に融資を行いました(A氏聴取)。

3.文部科学省の科学技術政策と財務省の科学技術政策の現状理解の差

財務省ホームページ(HP:以下「財務省」はHPの内容である)[3]は、官民合わせた研究開発投資について、我が国は過去20年以上にわたり、主要先進国の中で最も高い水準を維持してきている。文部科学省科学技術白書(以下「文部科学省」は科学技術白書の内容である)[4]は我が国の政府研究開発投資の伸びは停滞していると認識している。両者の認識に差がある。財務省は積分で認識し、文部科学省は微分で認識している。財務省は、科学技術関係予算の伸びに伴い、我が国の総論文数は伸びたと評価している。文部科学省の認識は、我が国の論文数は減少傾向にあるとともに、国際比較した際の論文数ランキングは低下している。両者の認識に差がある。財務省は積分で認識し、文部科学省は微分で認識している。
財務省は、そのうち被引用度で世界トップ10%に入る「質」の高い論文の割合は他の主要先進国に比べ一貫して低水準にとどまっているなど、課題がある。文部科学省科学技術白書は、論文の質の高さを示す指標の一つである被引用数Top10%補正論文数ランキングについては大きく低下している。この点についてはほぼ認識は一致している。企業の論文数、特許については、財務省は触れていないが、文部科学省は、論文数の推移を見ると、企業の割合が低下傾向にある。我が国の特許出願件数は高い水準を維持していると触れている。
相沢英之元大蔵省事務次官は科学技術庁を創設するときについてのオーラルで、研究資金提携機能に限定すべきで、恒常的な研究機関を持つべきではないと述べている。財務省もホームページの中で、投資(インプット)目標の下では、投資額を達成すること自体が目的化し、財政の硬直化を進めるとともに、非効率な事業であっても実施され、費用対効果が向上しないおそれがあるとしており、これは大蔵省、財務省と継承された財政の基本姿勢であると思われる。研究機関の中で投資額達成が目的化することを危惧する財政の立場である。
財務省は、科学技術分野において①PDCAサイクルが十分に機能していない可能性があるとしている。企業の研究開発費の水準が国際的に高いことを踏まえれば、オープン・イノベーションによって、産学連携を拡大することが不可欠であるとし、「大学が企業から受け入れる研究開発費を5年間で5割増加」といったKPIの設定が必要と考えられるとしている。
また研究者評価として、①国際的な視野での審査・評価の導入、②研究時間・資源管理、③配分額の減額ルール策定による研究資金の最適配分、④審査において「研究の社会的インパクト」を重視する、としている。1980年代までは、財政・金融視点で大蔵省が主導したが、1990年代以降内閣府が財務省と文部科学省の両省の見方を受けて機能する。

4.小泉内閣の科学技術政策 大蔵省から内閣への投融資ミックス機能の移転

総理のリーダーシップは、日本経済の拡大とともに、海外の政治指導者、巨大企業経営者との緊張の中で徐々に強化された(牧原出,2013[5]。小泉純一郎内閣(20014月~069月)は内閣官房に企画権限を付与し、科学技術政策に基本方針を出した。科学技術への予算、投融資ミックスは、内閣の科学技術政策へは財務省出身の首相秘書官の予算の制約のなかで決定された。
大蔵省においては、主計局から理財局へ財政投融資の権限が移り、科学技術予算と財投の制度的分離が起こり、主計官の投融資ミックスの機能は大蔵省の中でも縮小されていった[6]
1980年代以降ベンチャー投資ブームが起こった。これ以降、科学技術への投融資ミックスにベンチャーキャピタルが加わった。この主役は通商産業省である。この結果、科学技術への投融資ミックスは予算・低利融資・高利銀行融資・ベンチャー投資の4つとなった。 
その結果、科学技術投融資ミックスの決定権限の一部が、大蔵省主計官から通商産業省へ移った可能性がある。産業基盤整備基金[5]はNTTの民営化による発生した株式売却収入を原資として、産業投資特別会計が出資して1986年設立された特殊法人で、通商産業省はこの基金を利用して科学技術研究、企業の研究開発等への出資を行った。「NTTの資金を使った出資は多くが基礎研究開発に出資したと記憶しています。このため出資金はほとんど回収できなかったと思います(B氏からの聴取)。」

5.内閣の科学技術政策

第2次安倍晋三内閣(201212月~)は、官房長官が全体を掌握し、可能な財政政策の範囲で、科学技術政策について諮問機関の審議で大枠の意思決定を行った。科学技術予算、投融資ミックスの司令塔は、小泉内閣における財務省からの官僚中心(丹呉秘書官など)から、安倍内閣では経済産業省(旧通商産業省)からの官僚中心(今井秘書官など)に移った。経済産業省からの官僚が内閣官房の重要ポストに配置された(牧原出,2013)。
その理由は、1980年代以降のベンチャーブームは、融資中心の大蔵省(現財務省)による経済支配を、通商産業省(現経済産業省)主導の投資中心経済へ転換させていたため、政府の意思決定における投融資ミックスは、重心が大きく投資に傾いていたからと思われる。
総理によるトップダウンの科学技術政策における戦略的イノベーション創造プログラム(政策統括官赤石浩一[7])は総合科学技術・イノベーション会議[8]で各省より一段高い立場から、総合的・基本的な科学技術政策の企画立案及び総合調整を行う[9]。役割は、①科学技術基本政策、②予算、人材等の資源配分方針作成、③実用化、イノベーション創出の促進、④大規模な研究開発評価である。 官民研究開発投資拡大プログラム(PRISM)平成30 年度に創設。高い民間研究開発投資誘発効果が見込まれる「研究開発投資ターゲット領域」に各省庁の研究開発施策を誘導し、官民の研究開発投資の拡大、財政支出の効率化等を目指す、などの総理主導での科学技術政策のPDCAである。
企業の研究開発費はリーマンショック後の落ち込みからは回復しており、大学及び国立研究開発法人等のオープン・イノベーションに向けた意識は高まりつつある。民間との共同研究による大学等への研究資金の受入額は増額傾向である。大学等と企業の本格的な産学連携等は着実に進みつつある。それを受けた総理主導の科学技術政策である。

6.結語 内閣の世界における役割

日本は、海外の都市インフラ開発、トップ企業の世界市場制覇、国内のインフラ再構築、東京オリンピックなど産学官で国家の意思として予算+投融資ミックスを構想する時代に入っている。日本は世界において、科学技術イノベーションによる「Society 5.0」の実現に向けた貢献が求められている。
今後、さらなる科学技術イノベーションに向けて、施策の充実、関係府省や機関の連携・協力を深めることが重要である。その司令塔としての内閣の構築が課題である。安倍内閣の官僚は、反駁したり質問したりするだけの人材ではなく、各省、産官学に対して情報優位を持ち、指導を試みようとする官僚である。最近の研究開発政策は開発をターゲットにしているように思います(C氏聴取)。安倍内閣は、科学技術政策におけるPDCAを行うことに成功し、トランプ大統領、習主席と世界で競争しうる存在である。


[1]相沢英之氏は田中角栄元総理大臣と同年齢でオーラルの近現代史的価値は大きい。
相沢英之氏(あいざわひでゆき):195411月主計局主計官-19636月主計局法規課長-19647月主計局総務課長-19656月近畿財務局長-19667月主計局次長-19698月経済企画庁長官官房長-19706月理財局長-19716月主計局長-19736月大蔵事務次官-19746月退官、197612月衆議院議員-19902月国務大臣経済企画庁長官就任-20007月国務大臣金融再生委員会委員長就任。

[2] 矢野俊比古氏の記憶力は驚異的で通商産業省の政策立案、行動が丹念に記録できた。
矢野氏(やのとしひこ):1948年東京大学法学部政治学科卒、商工省(現経済産業省)入省、産業資金課長、基礎産業局長、産業政策局長を経て、1980年事務次官就任、1983年参議院議員当選(1期)、2013年死去。

[3]日本政策投資銀行(2002)『日本開発銀行史』日本政策投資銀行

[4]日本政策投資銀行(2002)4.経済復興と政策金融 第1節第2次世界大戦直後の政策金融 第1章日本開発銀行の設立と初期の政策金融」『日本開発銀行史』日本政策投資銀行

[5]産業基盤整備基金は中小企業総合事業団、地域振興整備機構とともに中小企業基盤整備機構に平成2004年統合された。

 参考文献
足立伸(2002)「財政・会計制度」城山英明・細野助博編著『続・中央省庁の政策形成過程』(中央大学出版部)
牧原出(2013)、政策決定における首相官邸の役割、2013627
https://www.nippon.com/ja/features/c00408/
城山英明・細野助博(2002)「中央省庁等改革(橋本行革)とその後の課題」城山英明・細野助博編著『続・中央省庁の政策形成過程』(中央大学出版部)



[1]日本たばこ産業会長。東京大学法学部卒、1974大蔵省入省(1980日本開発銀行人事部出向)、主計局次長、2001内閣総理大臣秘書官5年間(小泉純一郎首相)、2006年理財局長、大臣官房長、主計局長、財務事務次官、内閣官房参与から現職へ
[2]内閣総理大臣秘書官6年目。東京大学法学部卒、1982年通商産業省入省、日本機械輸出組合ブラッセル事務所所長資源エネルギー庁資源・燃料部政策課課長経済産業省大臣官房総務課課長、経済産業省貿易経済協力局審議官、資源エネルギー庁次長から現職へ
[3] https://www.mof.go.jp/zaisei/matome/zaiseia271124/kengi/02/05/index.html
[4] http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa201801/1398098_001.pdf
[5]中曽根康弘内閣(198211月~8711月)はリーダーシップ強化、内閣強化として、官房長官を各省に対して優越させ、審議会などを活用した。橋本龍太郎内閣(19961月~987月)は省庁を削減(城山・細野,2002)し、内閣に特命担当大臣を設置し、各省を越えた政策決定、調整を行わせた。大蔵省が解体され、1990年代からの護送船団方式への内外の批判と行政改革により、財務省、金融庁に分離し、予算・財政投融資と銀行融資の分離が起こった。
[6]相沢によると「昭和30年代主計局長森永貞一郎のとき、経済財政政策を円滑に進めるためには、予算の編成、税制、財政投融資を一体として運営しなければならない。当時、主計局総務課が実質的な財政投融資の審査をしていた。理財局に財投の権限を移した。」
[7] 85年(昭60年)東大法卒、旧通商産業省へ。17年内閣官房内閣審議官。東京都出身
[8]内閣総理大臣を議長とし、議員は内閣官房長官科学技術政策担当大臣総理が指定する関係閣僚(総務大臣、財務大臣、文部科学大臣、経済産業大臣)民間議員等14名で構成。
[9]平成131月、内閣府設置法に基づき、「重要政策に関する会議」の 一つとして内閣府に設置(平成26年5月18日までは総合科学技術会議)。

第3の意思決定モデルの組織間関係論The Third Decision Making Model


  第3の意思決定モデルの組織間関係論
     The Third  Decision Making Model

                 清家 彰敏

概要
 意思決定モデルの分類を意思決定主体から大きく3つに分類した。3つとは人間、人工知能、ネット上の不特定他者の3つである。このネット上の不特定他者の行う意思決定を採用する意思決定モデルを第3の意思決定と定義した。
 ドナルド・トランプのようなゼロベースから意思決定する独善的とも思われるリーダーを、クリケット、サッカーのストライカー(striker)になぞらえ、ストライカー型リーダーと定義した。
 ストライカー型リーダーに追随する人材が行いがちな意思決定がフリーライダーである。フリーライダーは第3の意思決定を行う傾向がある。フリーライダーの第3の意思決定とは、意思決定をネット内などの他者から借用し、あたかも自身が意思決定したかのように振る舞い、政策、経営方針、製品コンセプトなどを決定する。
 第3の意思決定は信頼性、隠ぺい性と言った問題を持っているが、必ずしも好ましくない意思決定とは言えない。
 
















1.意思決定の3つのモデル
意思決定のモデルは、主体とベクトルで3つに分類される。第1の意思決定モデルとしては、古典的意思決定モデルといえ、他者の意思決定を情報として受け取り、自身で意思決定をする。人間の意思決定である。主体である意思決定貢献者が意思決定表明者となる。
2の意思決定モデルは人間以外の人工の意思決定主体で、人工知能(AI)であり機械学習的意思決定を行う。AIが主体となり、他者の意思決定を情報として受け取り意思決定を行う。主体(意思決定貢献者)はAIである。
3の意思決定モデルは、ネット上の他者の意思決定を採用し、採用者が自身の意思決定として表明する。意思決定はネット上で選ばれた不特定他者が主に行い、意思決定者はその意思決定の選択と表明する存在でしかない。主体としての意思決定貢献者は不特定多数である。

2.ストライカー型リーダー
現代の経営においては、モジュール化の進展が進んでいる。モジュール化においては、ストライカー(striker)型リーダーが多くなっている。ストライカー型リーダーは政治、経営、技術においてみられる。サッカーのゴールを決めるように、多くのモジュールからの貢献を受けて、最終的な意思決定を行う。
サッカーのストライカーの機能は以下である。ストライカー(striker)は積極的にゴールにシュートするサッカーでもっとも得点力がある中心選手を指す、クリケット由来の言葉である。本稿では、ストライカーを組織、集団、ネットワークのリーダーでプロジェクトの中心的な経営者、商品企画者、技術者を指している。具体的にはソフトバンクCEO孫正義、アップルのスティーブン・ジョブスをイメージできる。かつてのソニーの創業者井深大、中興の祖盛田昭夫、本田技研の本田宗一郎もそのイメージである。誰の意見も聞かない。ベンチャー企業の起業者はストライカーのイメージが多い。ストライカーは、人間以外にAIもストライカーを演じることが可能である。

3.ストライカー型リーダーと追従者
ストライカー型リーダーは無批判にモジュールとして人材を扱う傾向がある。この傾向は追従者をストライカー型リーダーは好み、追従者が内部組織、組織間関係に満ちることになる。追従者はストライカー型リーダーの即決的意思決定に即応することを求められる。

4.追従者のフリーライダー化
ストライカー型リーダーは自身が理解しやすい意思決定を即座に行うことを期待する。即応のために、追随者は、ネット上の不特定他者の意思決定にフリーライド(free ride)する。

5.フリーライダーと第3の意思決定モデル
フリーライダーの第3の意思決定とは、意思決定をネット内などの他者から借用し、あたかも自身が意思決定したかのように振る舞い、政策、経営方針、製品コンセプトなどを決定する。このフリーライダーの意思決定を第3の意思決定と規定する。
大学入試でスマートフォンを使い不特定多数に問題をネット上で解かせる。無批判に最初に解いた不特定者の解法を採用する。これが第3の意思決定である。
組織間関係論では不特定者との関係を前提にした理論はまだ議論が不十分である。内部組織では第3の意思決定を行いがちな構成員を推定、特定することは可能であるが、組織間関係においては不可能である。
また第3の意思決定が、他の意思決定より劣っているとも言えない。むしろ、優れていることも多い。例えば、医療の診察画像をネットに送って、不特定多数の医者の診断を仰ぐ。不特定多数のうちもっともレスポンスが早かった診断を選んだとしよう。その診断は多くの場合信頼できる優れた診断内容であると考えられる。

6.ネット上の意思決定の信頼性問題
 ネット上の意思決定は信頼性に欠け、無責任である。ネット上の意思決定者が不特定で匿名であることは、責任を問えないことを意味し、意思決定の多くは信頼性がない。ネット上にはゴミが溢れている。本郷5丁目の2LÐKを購入したが、その購入を決定した際にネット上の意思決定を採用していたら、良い買い物は出来なかった。

7.ネットの誹謗中傷に相当する意思決定の組織人事への影響
 ネット上には誹謗中傷が溢れている。誹謗中傷ではなく真実であることも多い。世界中でパワハラ―、アカハラが大きな問題になっている。ネットの中で溢れる誹謗中傷に類する意思決定の借用は、組織構造、人事に影響を与える。

8.意思決定者隠ぺいの問題
3の意思決定において、部下が悪意で真の意思決定者の存在を隠ぺいする。組織のリーダーは部下が意思決定者を演じていることに欺かれることもある。大学院の修士論文をネット上から借用して、教授を欺くことがある。ローカルな言語で書かれた論文を翻訳して、修士論文として提出されてはチェックが困難である。

9.過去の意思決定の現在の第3の意思決定に与える影響
 現在、大学の事務は、問題を学生が起こしたとき、ネットでフェースブックなどを検索する。学生が過去フェースブックなどに書き込んだ意思決定が借用されて、第3の意思決定とされ、処罰の参考にされる。

結語
 意思決定モデルの分類を意思決定主体から人間、人工知能、ネット上の不特定他者の3つと規定し、ネット上の不特定他者の行う意思決定を採用する意思決定モデルを第3の意思決定と定義した。
 クリケット、サッカーのストライカー(striker)になぞらえ、ストライカー型リーダーを定義した。
 ストライカー型リーダーに追随するフリーライダーと規定、フリーライダーが第3の意思決定を行うとした。
3の意思決定は、意思決定をネット内などの他者から借用し、あたかも自身が意思決定したかのように振る舞い、政策、経営方針、製品コンセプトなどを決定する。
内部組織では第3の意思決定を行いがちな構成員を推定、特定することは可能であるが、組織間関係においては不可能である。
3の意思決定は信頼性、隠ぺい性と言った問題を持っており、今後の研究課題は多い。

2017年2月6日月曜日

大蔵省(現 財務省)と通商産業省(現 経済産業省)の元 事務次官オーラル公開の歴史的意義


近現代史の権威伊藤隆東大名誉教授と清家の2人で、


大蔵省(現財務省)の元事務次官の相沢英之氏(元国務大臣)

通商産業省(現経済産業省)元事務次官の故矢野俊比古氏(元参議院議員)に対して、




相沢英之オーラル第1回200958日~342012611日 聴取時間68時間

矢野俊比古オーラル第1回20091112日~422012127日」聴取時間84時間

を行った。

相沢氏は、田中角栄元総理大臣と同年齢でオーラルの近現代史的価値は極めて大きく、

矢野氏の記憶力は驚異的で、通商産業省の官僚の生涯の政策立案、行動過程が詳細かつ丹念に記録できた。

おそらく、大蔵省、財務省、通商産業省、経済産業省の記録で、上記の相沢英之オーラル、矢野俊比古オーラルを超える膨大な記録は無く、今後もこれほどの長時間の記録を事務次官および事務次官経験者に行うことは無いと思われる。

特に、矢野俊比古オーラル84時間のほとんどの内容は、公刊されていない矢野氏の官僚としての活動の記録である。戦後の日本の高度成長から安定成長に移行した時代に通商産業省(MITI)が果たした役割の一次資料である。
矢野俊比古オーラルは、かつて通商産業省(経済産業省)が矢野俊比古氏に行った「省内」のオーラルに比較して、はるかに膨大な記録である。
また省内オーラルと矢野俊比古オーラルの内容には差異が多く見られ、矢野俊比古オーラルは近現代史研究における一次資料として、近現代史研究者にとって価値が高い。

また
政治家・官僚を志す若い人にとっても、
これから高度成長しようとする国家、特にインド、
安定成長に移行しようとする中進国、特に中国
にとって意味が大きい。

現在、相沢英之オーラルと矢野俊比古オーラルは分析、考察中である。
研究成果を発表するだけでなく、この膨大な一次資料をどのように社会的、学術的に公開するか、

伊藤隆名誉教授と清家で協議中である。

公開について、諸賢のお知恵があれば、お教え願いたい。

相沢氏については、日本の予算を担当する主計局の機能の変遷をまとめ、学会報告を行った。

この報告は、相沢氏の加筆修正とキャッチボールでまとめることができた。相沢氏は大蔵省、財務省において、主計局の経験が、もっとも長かった官僚である。主計局長を経て事務次官になった。

主計局の今日的意義についての同氏の見解も、報告に入れることができた。

主計局の機能の変遷は日本経済の変化の歴史であり、

日本の未来を考える示唆を、相沢加筆修正の下記報告は、我々に与えている。



相沢英之氏:195411月主計局主計官-19636月主計局法規課長-19647月主計局総務課長-19656月近畿財務局長-19667月主計局次長-19698月経済企画庁長官官房長-19706月理財局長-19716月主計局長-19736月大蔵事務次官-19746月退官、197612月衆議院議員-19902月国務大臣経済企画庁長官就任-20007月国務大臣金融再生委員会委員長就任

大蔵省主計局と成長について――元事務次官オーラルより

清家彰敏



概要
本研究では元国務大臣・元大蔵省事務次官相沢英之氏[1]に対し、2009年~2013年まで34回×2時間のオーラル[2]を行った(伊藤隆東大名誉教授と2人で行い、今後国会図書館憲政資料室に永久保存の予定である)。大蔵省主計官主導の投融資ミックスと日本経済の成長ーーその変化の歴史と新制度の模索ーーこの研究目的は日本の過去の経験が新興国などの今後の発展に役に立つのではないか、との国際知識移転の考えに立っている。この膨大な史料のうち、本報告は、特に主計局主計官と日本経済の成長、イノベーションに関わる部分についてのみ限定し、マネジメントの視点での分析を進める。
主計官は多能化し、柔軟な組織構造、職務割り当てがなされているなど、組織論、組織間関係論で説明できる可能性がある。本研究は、問題意識、仮説とともに、現在の財務省主計局との連続性、非連続などについても触れる。また膨大な資料の分析方法、国際移転手段についても論じる。

仮説1 主計官が多能化していることで、柔軟で適切な投融資ミックスの決定ができ、日本経済の成長が促された。

1.日本における高度成長と主計官の査定
戦後の復興では、1947年の臨時金利調整法で金利の最高限度が規定され、資金不足の企業へ復興金融公庫からの低利融資が行われた。1949年のドッジライン実施以降は、復興金融貸出が禁止され、1951年に日本開発銀行(政府全額出資:現日本政策投資銀行)が設立され、日本興業銀行、都市銀行などと産業インフラ、企業への融資を行い、高度成長期が始まった。この融資はインフレ率より金利が低い低利融資であった。
インフレ率以下に金利が抑えられていれば融資は伸びる。企業は1955年から1985年銀行借入の間接金融の資金調達は50%前後であった。借入金の支払い利息が法人税で損金参入されるという産業政策も融資の伸びに貢献した。
日本開発銀行など政府系金融機関は、郵便貯金などの出口として、さらに低利融資を行った。政府系金融機関は「民間金融だけでは円滑な資金供給が期待し得ないプロジェクト」へ低利長期融資を行う。本研究では、以下、政府系金融機関の融資を「低利融資」、銀行融資を「高利融資」と記述する。銀行の「高利融資」は低金利時代における「比較的高金利」という意味で使用する。
大蔵省主計官は、戦後から高度成長期、安定成長期にかけて、産業競争力に関わるプロジェクトに、必要資金(原子力発電所なら1兆円にものぼる)を、予算と投融資ミックス(低金利政府系金融、高金利銀行融資、民間投資)を大所から考慮し供給するかの査定を行った。この査定によって、プロジェクト、企業の債務などの返済の負担が大きく変わってくる。それは高度成長のエンジンである企業経営者、管理者の挑戦意欲と行動に大きな影響を与えた。

2.仮説2
財政民主主義で憲法、法律、政令などに縛られる官僚組織の中で、大蔵省主計局は、高度成長期の予算、財投(理財局へ機能が移ったが、実質は企業からの財投要求を通産省産業資金課がとりまとめ、主計局が仕切った)、銀行融資の適切な投融資ミックスによって、日本経済の成長への投融資を行った。その際、主計官の柔軟な職能が効果的に機能した。
上記仮説について、相沢英之元国務大臣・元大蔵省事務次官オーラル34回×2時間を基礎に文献・他のオーラルにより検討を試みる。相沢英之氏は主査を6年、主計官を9年経験し、その後主計局次長、主計局長、事務次官を経験している。

3.査定型官庁としての主計局
各省庁は、企画型、現場型、査定型、渉外型、制度官庁型に分類することができ(城山・鈴木・細野,1999、城山・細野,2002)、大蔵省(財務省)主計局は査定型官庁部門に分類される。主計局(主計局長・次長・主計官・主査)を城山らの分類査定型と規定し、機能は以下のようになる。
  提供された大量の情報を各方面から検討して一定の判断を行うことが求められる。
  判断の際の重要な基準は全体の「姿」、すなわち、バランスである。
  担当者(主計官・主査)に一定の裁量が与えられている。
  全体の「姿」に関しては、官房系統組織(官房長・秘書課長・文書課長・主計局総務課長)・上位組織(大臣・副大臣・政務官・事務次官・主計局長・主計局次長3名)がきちんと統制している。
⑤査定の主体は、形式的には一方的な決定権を持っている。
⑥現実的には決定権を一方的に行使することはできない。
⑦査定側は、情報上、実務処理上の能力の限界がある。
⑧被査定側の担当者と「握る」(詳細な事前の調整)必要がある。
⑨その結果、決定はインクリメンタルなものとなりがちである。

足立伸[3]によると財政支出は、足立(1992)は、貝塚・館(1973)より①国自らが行う事業のための支出、②地方自治体等への補助金や補給金の交付による支出の補填がある。経済的性質も①公共事業のような投資的な性格、②人件費や防衛費のように経常的な性格もある。財源の調達は、①租税、②公債、③負担金、④国有資産の売却などの多様な方法で行われる。国家は、行政サービスの提供のため、国有資産保有、財政投融資などの投資と融資によって、①資源の公共目的への配分、②所得の再配分、③経済の安定と適度の成長の実現を図るとしている。

相沢氏によると、昭和20年代主計局が予算、財投、銀行融資を全部掌握していた。主計官は、国家プロジェクトに関して、予算(金利ゼロ)、財政投融資(低金利)、銀行融資(市中金利)を使い分けていた。

4.主計官の柔軟な職能
「名刺にも主計官が何省を持つということは何も書いてない」(「相沢英之オーラル16p19~大蔵事務次官(5)変革の提案参照)主計局の主計官、主査は、財政民主主義の法律、政令の拘束、制限の中であっても、その投融資ミックスの判断を、極めて柔軟に行いえた(「相沢英之オーラル16回同上参照)。「(主計官の)所管は、言うなれば自由自在にできるんです」
主計官の職能は、柔軟なだけでなく、相互にオーバーラップするなど職務の境界が曖昧になること、職務において代替性を持っている。現在世界の民間企業などに見られるプロジェクト組織、マトリックス組織、ネットワーク組織にも対応しうる柔軟さで特長づけられる(参照:清家彰敏著『進化型組織』同友館)。また代替性は、「職務の多能化、汎用化は競争をもたらす」につながり、主計官の相互の競争による職務レベルの向上にも繋がった可能性がある。
民間企業などに比較して、憲法、法律、政令の縛りがあるため職務が硬直的になると考えられてきた中央官庁局課の査定において、上記の柔軟な職能を持った主計官制度が果たしてきた役割は再評価されるべきである。硬直的な各省庁を柔軟な主計官が査定する。これは絶妙な補完関係となった。

相沢オーラル:大蔵事務次官(5)変革の提案16P19

主計局には主計官という制度があるんですね。あれは次長が三人で主計官が九人なんです。一つの次長が三人ずつ主計官を持っているんですね。その主計官の制度のいいところは、相沢主計官と呼ばれて、名刺にも相沢主計官が何省をもつということは何も書いていないんです。これは局内でできることなんですね。・・・「彼はベテランだからちょっと増やしてやろう」とかいって大事なところをもたせてやる。新しい人が来たら「あいつはちょっと荷を軽くしておこう」と、こっちのやつを外してこっちにもっていくことができる。そうすると、これは規則の変化じゃないから(自由にできる)。

通商産業省産業資金課長の職務は矢野(通産事務次官)オーラル[4]26回によると

通商産業省の原課は補助金、出資となると一般会計から要求する。主計局へ
金利が付いてもいいような事業。融資は日本開発銀行(現日本政策投資銀行)などから借り手は企業。通産省の産業資金課がまとめて大蔵省の理財局資金課に持っていく。
銀行はより高い金利であるが、財投がついた段階で融資を行う。「開銀がいいのなら、政府がいいと言っていれば俺も安心だとやった。自分たちの銀行審査権を放棄しているということなんです。

5.主計官の投融資ミックスと経済成長
高成長時代は設備投資のための資金量の確保が重要で、財投は低金利+資金量の確保を手助けした面がある。高金利は資金不足の結果おこったものであり、民間金融機関の資金量の確保は専ら日銀の担当だった。短期金利は日銀が担当し、長期金利は大蔵省の担当という役割分担し、この間をつないだのが、1974年に総裁となった森永元主計局長以降の人事の可能性がある。

6.主計官制度の理論的説明
伊藤大一は大蔵省内という同一組織内に歳出の主計局と歳入の主税局が存在し、情報を独占し、情報の非対称性によって大蔵省が他省庁、政治家に対してアドバンテージを持ったとしている[5]。これは大蔵省主計官の自律性を高め、その結果、上記の投融資ミックスを可能とした。
通産省が業界との産業ネットワークからの情報をもち、大蔵省が銀行からの金融ネットワークからの情報を持っていたと指摘している。主計官はその2つのネットワークからの情報の結節点であり、2つの情報を統合できる存在であった。しかし、相沢オーラルでは、銀行局は主計官の査定に関してオブザーバーでしか参加していない。
しかし、財投の省議には銀行局が出席している(相沢著『予算は夜つくられる』p99)。主計官がどの程度、金融ネットワークの情報を獲得利用できたかについては今後検討を行いたい。また同様に通産省産業資金課が通産内の原課による各企業からの膨大な要望の省内とりまとめを行う際、原課が個々に持つ産業ネットワークの情報をどの程度獲得利用できたかについても検討しなければならない。
産業資金課と原課が各企業からの要望を取りまとめる際に「日本開発銀行」が大きな役割を果たした。ただし、日本開発銀行はMOF(主計・理財・特金)の所管であり、予算要求のとき、MOFと十分すり合わせながら、産業資金課経由で要求する形をとっていた。実質的にはMOFは開銀を通じてこの予算策定作業をコントロールしていた。
また日本興業銀行(興銀)の役割についてであるが、大蔵省は興銀を通じて長期金利を管理していたといえる。興銀に長期債発行金利で長期プライムレートを決めさせ、その金利より安く政府系金融機関の金利を決定していた。

7.日本政府における大蔵省主計官の査定と産業の特徴
 大蔵省(財務省)主計官の投融資ミックスを考慮する査定は、通商産業省など各省庁の原課の要求を通じて産業をドライブし、競争力を形成してきた。プロジェクトの規模総額を大きくするには、返済義務のある融資・借入の比率を増やせば大きくなる。その査定が戦後産業競争力形成の歴史を作った。
例えば、鉄鋼業は、最新技術を追求した大規模設備と投融資における借入の比率の大きさが産業競争力と企業間の激烈な競争の原因となった。企業の借入金の大きさは損益分岐点を押し上げ、高い操業度でなければ利益が出ない。操業度を上げるために、どの企業も最先端技術を追求、最有望市場の開拓を常に優先する。その結果、投資の矛先は時代ごとに刻々と変化せざるをえない。企業は、矛先をどちらへでも柔軟に変えうるように、多能かつ同質な組織になっていく。多能で同質な企業は棲み分けができないから相互に猛烈な競争を繰り広げる。
また最先端技術、最有望市場を狙ったインフラ、設備投資は、大蔵省(財務省)主計官の査定において好印象となる。主計官は、投融資ミックスで、返済義務のない予算、金利の安い政府系銀行の財政投融資の比率を高くし、プロジェクト、企業の返済負担を減らす。これが、主計官が日本の産業競争力を作り上げることに貢献してきた構図である。
 投融資における借入金の大きさがもたらした鉄鋼業の特徴は、造船、自動車、石油化学、電機業界、建設業などにも見られ、日本産業の特徴となった。この特徴の形成に主計官の投融資ミックスの影響が大きかったと思われる。

このような主計官の役割は徐々に変化していった。

8.主計官による投融資ミックスの査定の変化
1960年代以降、政府によって、予算作成機能の大蔵省からの分離が唱えられた(このような考えは戦前からあった)。このため、その対策として、主計局から理財局へ財政投融資の権限が移り、予算と財投の制度的分離が起こった。
相沢[6]によると「昭和30年代主計局長森永貞一郎のとき、経済財政政策を円滑に進めるためには、予算の編成、税制、財政投融資を一体として運営しなければならない。当時、主計局総務課が実質的な財政投融資の審査をしていた。・・・理財局に財投の権限を移した。」
次に、大蔵省が解体され、1990年代からの護送船団方式への内外の批判と行政改革により、財務省、金融庁に分離し、予算・財投と銀行融資の分離が起こった。大蔵省主計局主計官は「予算(返済義務なし)」(一般会計)・「低金利融資」(財政投融資)・「高金利(銀行融資)」の絶妙な投融資ミックスを決定し、成長先へ適格に投融資する。この成長モデルは、この2段階の分離によって変化した。
また1980年代以降ベンチャー投資ブームが起こった。これ以降、成長への投融資ミックスにベンチャーキャピタルが加わった。この主役は通商産業省である。この結果、成長先への投融資ミックスは予算・低利融資・高利銀行融資・ベンチャー投資の4つとなった。その決定において、投融資ミックスの決定権限の一部が、大蔵省主計官から通商産業省へ移った可能性がある。その1つの事例が産業基盤基金である。産業基盤基金はNTTの民営化による発生した株式売却収入を原資として、産業投資特別会計が出資して1986年設立された特殊法人で、通産省はこの基金を利用して研究開発等への出資を行った。

主計官による投融資ミックスの変化の歴史
1期主計官による成長投融資3資源(予算・低利融資・高利融資)の独占、
2期理財局により低利融資の分離、
3期ベンチャーブームによる成長投融資4資源(+ベンチャー投資)時代、
4期高利融資の分離(大蔵省からの金融庁の分離)

9.新制度の模索 投融資ミックスの司令塔の再構築の必要性
現在でも、投融資ミックス「予算・低金利(財投)・相対的高金利(長短:銀行)・(ベンチャー)投資の4資源」の司令塔が必要ではないか。しかし、主計官の機能は剥ぎ取られ縮小され、結果投融資ミックスの司令塔は分断されてしまっている。今後の政治主導の時代、司令塔を果たすのは、政治家、官僚のどちらであれ、その投融資ミックスの司令塔は求められるのではないか。
特に民主党内閣の「仕分け」が必ずしも成功といえない理由は、投融資ミックスの能力と情報ネットワークに欠ける政治家などが仕分けを行ったからとも考えられる。
例えば、20139月末にソフトバンクが企画した総額2兆円の協調融資には、政府系銀行である国際協力銀行(JBIC)と日本政策投資銀行(旧日本開発銀行)が融資約3000億円を用意した。残りはみずほ銀行、三井住友銀行などが融資する[7]。米国携帯電話企業スプリントの買収資金として準備したつなぎ融資の借り換え、過去の借入金も含め年限の長い融資に切り替えることがソフトバンクの主な目的である。
このソフトバンクの企画は多くの問題を提示している。この2兆円の投融資ミックスは誰が決定したのか。また誰が決定すべきなのか。その決定にはどのような法的裏付けがあるべきであるか。責任の所在はどこにあるのか。法的に責任をとるべき機関はどこなのか。想定される損失の可能性について、どの程度、国民に対して説明責任を果たしたのか。
最大の当事者であるソフトバンク代表取締役社長は政府の投融資ミックスをどの程度意識していたのか。国民と法律に対する彼の意識は適切であったのか。
アベノミクスは世界注視のなか、多くの経済実験を行おうとしている。日本銀行の黒田総裁の金融政策など世界初の試みも多い。日本は、海外の都市インフラ開発、トップ企業の世界市場制覇、国内のインフラ再構築、東京オリンピックなど産学官で国家の意思として予算+投融資ミックスを構想する時代に入っている。その司令塔の構築が課題である。
相沢氏によると、大蔵省主計局、経済企画庁官房長、大蔵省主計局長、事務次官、経済企画庁長官(国務大臣)の体験から、司令塔のイメージは「財務省主計局が、旧経済企画庁的な機関のリーダーシップの元、旧行政管理庁、法制局と調整を行う」モデルである。 例えば、米国の予算局は法制局を内包しているが、日本政府では、主計局は法制局との対立さえ起こりうる。

10.結語
仮説1、2の検証を進めた。主計官が多能化していることで、柔軟で適切な投融資ミックスの決定ができ、日本経済の高度成長が促されたと思われる。財政民主主義で憲法、法律、政令などに縛られる官僚組織の中で、大蔵省主計局は、高度成長期の予算、財投(理財局へ機能が移ったが、実質は企業からの財投要求を通産省産業資金課がとりまとめ、主計局が仕切った)、銀行融資の適切な投融資ミックスによって、日本経済の成長への投融資を行った。憲法、法律、政令の縛りがあるため職務が硬直的になると考えられてきた中央官庁局課の査定において、上記の柔軟な職能を持った主計官制度が果たしてきた役割は再評価されるべきである。硬直的な各省庁を柔軟な多機能の主計官が査定する。これは絶妙な補完関係となった。

参考文献
貝塚啓明・館龍一郎(1973),『財政』(岩波書店)
城山英明・鈴木寛・細野助博編著(1999),『中央省庁の政策形成過程』(中央大学出版部).
城山英明・細野助博編著(2002),『続・中央省庁の政策形成過程』(中央大学出版部).
足立伸「財政・会計制度」(2002),城山英明・細野助博編著『続・中央省庁の政策形成過程』(中央大学出版部)




[1]相沢英之氏:195411月主計局主計官-19636月主計局法規課長-19647月主計局総務課長-19656月近畿財務局長-19667月主計局次長-19698月経済企画庁長官官房長-19706月理財局長-19716月主計局長-19736月大蔵事務次官-19746月退官、197612月衆議院議員-19902月国務大臣経済企画庁長官就任-20007月国務大臣金融再生委員会委員長就任
[2]相沢英之オーラル第1回200958日~342012611
[3]注)足立伸
1980年大蔵省入省、1990年主計局調査課課長補佐、1991年主計局主査(防衛係)、1995年東京大学法学部助教授、1997年大臣官房秘書課財務官室長、1999年主計局主計官(法規課)、2001年主計局主計官(総務・地方財政係)、2004年財務総合研究所研究部長など
[4]伊藤・清家「矢野俊比古オーラル第1回20091112日~422012127日」
[5]伊藤大一(1980)『現在日本官僚制の分析』東京大学出版会
[6]相沢英之『予算は夜つくられる』かまくら春秋社平成19P97
[7] 「政府系から3000億円ソフトバンク調達へ」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2013912日夕刊3