2019年3月25日月曜日

科学技術政策における国家財政・金融視点からの試論


科学技術政策における国家財政・金融視点からの試論
   
   清家彰敏

1.緒言

日本の科学技術研究開発予算と科学技術への投融資の意思決定システムは、政治家・官僚だけでなく研究者を志す若い人にとって、政治と連携する企業の経営者、技術者にとって大きな関心である。また、これから高度成長しようとするインド、安定成長に移行しようとする中国にとっても関心が高い。日本政府の科学技術政策における意思決定システムは、高度成長期・安定成長期における大蔵省による護送船団・官僚主導の科学技術政策から、低成長期における安倍晋三総理の競争市場・政治主導の科学技術政策へと変化してきている。
科学技術政策は文部科学省、経済産業省、厚生労働省、総務省などの政策が加速し、財務省主計局が減速させるといった印象がある。現に同じ科学技術テーマであっても、文部科学省と財務省では正反対とも思える政策理解を感じることがある。世界的に総理、大統領、主席のリーダーシップは強まっている。安倍晋三内閣、ドナルド・トランプ大統領、習近平主席、ウジミナール・プーチンの科学技術政策には共通点がある。科学技術関係者に対して、強いリーダーシップで年初に目標付け、年末に評価し、フィードバックをかける総理、大統領、主席である。
日本における科学技術政策の今後について、論じる構図は科学技術政策を①研究者の立場、②財政・金融の立場、③小泉内閣(財務省主導)、④安倍内閣(経済産業省主導)である。①のプレイヤーは科学技術会議、②のプレイヤーは財務省主計局主計官、日本政策投資銀行等、③のプレイヤーは小泉総理と財務省丹呉奏健[1]他、理財局財投、④安倍総理、菅官房長官、経済産業省今井尚哉[2]他である。丹呉はその後財務省事務次官などで遇されたが、今井の今後は明らかではない。過去の大蔵省(現財務省)の事務次官のオーラルと現在のホームページについての解釈をも参照し論じる。

2.科学技術予算決定のメカニズムの歴史的変遷

日本の科学技術研究開発は政府と企業経営者によって計画される。研究開発資金は予算と投融資の合算である。日本では国家主導の科学技術研究が2割、民間主導の科学技術研究が8割と言われている。ドイツの割合もほぼ同じである。国家主導の科学技術研究は予算が中心で、民間企業の研究開発は投融資、金利、投資リターンを考慮する。
世界の科学技術を牽引する国家として、日本、米国、ドイツ、中国の存在は重要である。米国においては、覇権国家の最大の機能としての軍事の要請と世界の覇権企業経営者の科学技術戦略が大きなウエイトを占め、予算と投融資が加算され研究開発総額が決まる。中国においては、共産党指導ですべての研究開発資金が計画されなければならないが、投資とリターンのビジネス発想と共産党評価によるフィードバックが支配的である。日本政府は、国家的な視野、世界との研究開発競争の中で、研究開発予算と投融資を管理する必要がある。特に米国、中国、ドイツとの競争、棲み分け、連携などの発想が不可欠である。
日本政府の科学技術政策の究極の目標というのは、官僚的統制とか学界の階層的権威といった、息の根を止めるような犠牲を払うことなく、かつ学者の個人的権力とか自己保存などに研究努力を集中することなく、世界的な規模と多様性が持つ研究環境を引き出すことのできる研究者を創りだし、世界をリードすることである。
元国務大臣・元大蔵省事務次官相沢英之氏[1]に対し、オーラル第1回200958日~342012611日まで34回×2時間=聴取時間68時間、元参議院議員・元通商産業省事務次官矢野俊比古氏[2]に対し、オーラル第1回20091112日~422012127日×2時間聴取時間84時間を行った(伊藤隆東京大学名誉教授・近現代史と2人で行い、今後国会図書館憲政資料室に永久保存の予定である)。また本稿は、相沢氏の加筆修正とキャッチボールで確認することができた(2016年)。大蔵省主計局主計官と科学技術への予算・投融資ミックスは以下である。
高度成長期から安定成長にいたる時代の日本政府の科学技術政策はキャッチアップ[3]から80年代以降基礎研究志向へ転換し、21世紀におけるノーベル賞受賞者の輩出へ繋がり、世界でもっとも成功した政策とも考えられる。1951年日本開発銀行(政府全額出資:現日本政策投資銀行)が設立され、日本興業銀行、都市銀行などと欧米の科学技術をキャッチアップするための研究開発への投資、インフラ、企業への融資を行い、高度成長期を支援する科学技術政策が始まった[4]。当時の融資はインフレ率より金利が低い低利融資であった。借入金の支払い利息が法人税で損金参入されるという政策も融資の伸びに貢献した。また80年代の企業の研究開発投資への税制優遇も科学技術振興に貢献した。現在この政策を中国政府は模倣している。
科学技術関連省庁を査定する主計官は、産業競争力に関わる科学技術開発プロジェクトに、必要資金を、予算と投融資ミックス(低金利政府系金融、高金利銀行融資、民間投資)を考慮し、査定を行った。査定によって債務返済負担が変わるため、経営者の研究開発への特に海外に対する競争力を期待できる最先端研究への挑戦意欲に大きな影響を与えた。
主計官と通商産業省産業資金課長、銀行は連携し、高度成長時代、科学技術開発のための資金量の確保で企業の手助けをすることが可能となった。産業資金課長の職務は矢野氏オーラル[2]26回によると「通商産業省の原課は補助金、出資となると一般会計から要求する。金利が付いてもいいような事業、融資は日本開発銀行などから借りる。通産省の産業資金課がまとめて大蔵省に持っていく。銀行はより高い金利であるが、財投がついた段階で融資を行う。日本開発銀行がいいのなら、政府がいいと言っていれば、俺も安心だとやった。」である。相沢氏によると、昭和20年代主計局が予算、財投、銀行融資を全部掌握していた。主計官は、国家プロジェクトに関して、予算、財政投融資、銀行融資を使い分けていた。なお銀行の短期金利は日銀が担当し、長期金利は大蔵省が担当した。
鉄鋼業は、最新技術を追求した大規模設備と投融資における借入の比率の大きさが産業競争力と企業間の激烈な競争の原因となった。借入金の大きさは損益分岐点を押し上げ、高い操業度でなければ利益が出ない。操業度を上げるために、最先端技術を追求、最有望市場の開拓を優先する。その結果、投資の矛先は時代ごとに刻々と変化せざるをえない。企業は矛先をどちらへでも柔軟に変えうるように、多能かつ同質な組織になっていく。多能で同質な企業は棲み分けができないから相互に猛烈な競争を繰り広げる。投融資における借入金の大きさは、造船、自動車、石油化学、電機業界、建設業などにも見られ、日本産業の特徴となった。この特徴の形成に主計官の投融資ミックスの影響が大きかったと思われる。
最先端科学を志向し、最先端技術、世界市場を狙ったプロジェクトは、主計官の査定において好印象となる。主計官は、投融資ミックスで、予算、金利の安い財政投融資の比率を高くし、研究開発志向の企業、特に業界のリーダーシップを取る企業の返済負担を減らす。これが、主計官が日本の科学技術政策を牽引に日本の競争力を作り上げることに貢献してきた構図である。この構図は運輸における国有鉄道、通信における公共情報通信、金融におけるコンピュータ投資にまで及んだ。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の財投は研究開発の基礎、応用、開発段階では、開発を対象に融資を行いました(A氏聴取)。

3.文部科学省の科学技術政策と財務省の科学技術政策の現状理解の差

財務省ホームページ(HP:以下「財務省」はHPの内容である)[3]は、官民合わせた研究開発投資について、我が国は過去20年以上にわたり、主要先進国の中で最も高い水準を維持してきている。文部科学省科学技術白書(以下「文部科学省」は科学技術白書の内容である)[4]は我が国の政府研究開発投資の伸びは停滞していると認識している。両者の認識に差がある。財務省は積分で認識し、文部科学省は微分で認識している。財務省は、科学技術関係予算の伸びに伴い、我が国の総論文数は伸びたと評価している。文部科学省の認識は、我が国の論文数は減少傾向にあるとともに、国際比較した際の論文数ランキングは低下している。両者の認識に差がある。財務省は積分で認識し、文部科学省は微分で認識している。
財務省は、そのうち被引用度で世界トップ10%に入る「質」の高い論文の割合は他の主要先進国に比べ一貫して低水準にとどまっているなど、課題がある。文部科学省科学技術白書は、論文の質の高さを示す指標の一つである被引用数Top10%補正論文数ランキングについては大きく低下している。この点についてはほぼ認識は一致している。企業の論文数、特許については、財務省は触れていないが、文部科学省は、論文数の推移を見ると、企業の割合が低下傾向にある。我が国の特許出願件数は高い水準を維持していると触れている。
相沢英之元大蔵省事務次官は科学技術庁を創設するときについてのオーラルで、研究資金提携機能に限定すべきで、恒常的な研究機関を持つべきではないと述べている。財務省もホームページの中で、投資(インプット)目標の下では、投資額を達成すること自体が目的化し、財政の硬直化を進めるとともに、非効率な事業であっても実施され、費用対効果が向上しないおそれがあるとしており、これは大蔵省、財務省と継承された財政の基本姿勢であると思われる。研究機関の中で投資額達成が目的化することを危惧する財政の立場である。
財務省は、科学技術分野において①PDCAサイクルが十分に機能していない可能性があるとしている。企業の研究開発費の水準が国際的に高いことを踏まえれば、オープン・イノベーションによって、産学連携を拡大することが不可欠であるとし、「大学が企業から受け入れる研究開発費を5年間で5割増加」といったKPIの設定が必要と考えられるとしている。
また研究者評価として、①国際的な視野での審査・評価の導入、②研究時間・資源管理、③配分額の減額ルール策定による研究資金の最適配分、④審査において「研究の社会的インパクト」を重視する、としている。1980年代までは、財政・金融視点で大蔵省が主導したが、1990年代以降内閣府が財務省と文部科学省の両省の見方を受けて機能する。

4.小泉内閣の科学技術政策 大蔵省から内閣への投融資ミックス機能の移転

総理のリーダーシップは、日本経済の拡大とともに、海外の政治指導者、巨大企業経営者との緊張の中で徐々に強化された(牧原出,2013[5]。小泉純一郎内閣(20014月~069月)は内閣官房に企画権限を付与し、科学技術政策に基本方針を出した。科学技術への予算、投融資ミックスは、内閣の科学技術政策へは財務省出身の首相秘書官の予算の制約のなかで決定された。
大蔵省においては、主計局から理財局へ財政投融資の権限が移り、科学技術予算と財投の制度的分離が起こり、主計官の投融資ミックスの機能は大蔵省の中でも縮小されていった[6]
1980年代以降ベンチャー投資ブームが起こった。これ以降、科学技術への投融資ミックスにベンチャーキャピタルが加わった。この主役は通商産業省である。この結果、科学技術への投融資ミックスは予算・低利融資・高利銀行融資・ベンチャー投資の4つとなった。 
その結果、科学技術投融資ミックスの決定権限の一部が、大蔵省主計官から通商産業省へ移った可能性がある。産業基盤整備基金[5]はNTTの民営化による発生した株式売却収入を原資として、産業投資特別会計が出資して1986年設立された特殊法人で、通商産業省はこの基金を利用して科学技術研究、企業の研究開発等への出資を行った。「NTTの資金を使った出資は多くが基礎研究開発に出資したと記憶しています。このため出資金はほとんど回収できなかったと思います(B氏からの聴取)。」

5.内閣の科学技術政策

第2次安倍晋三内閣(201212月~)は、官房長官が全体を掌握し、可能な財政政策の範囲で、科学技術政策について諮問機関の審議で大枠の意思決定を行った。科学技術予算、投融資ミックスの司令塔は、小泉内閣における財務省からの官僚中心(丹呉秘書官など)から、安倍内閣では経済産業省(旧通商産業省)からの官僚中心(今井秘書官など)に移った。経済産業省からの官僚が内閣官房の重要ポストに配置された(牧原出,2013)。
その理由は、1980年代以降のベンチャーブームは、融資中心の大蔵省(現財務省)による経済支配を、通商産業省(現経済産業省)主導の投資中心経済へ転換させていたため、政府の意思決定における投融資ミックスは、重心が大きく投資に傾いていたからと思われる。
総理によるトップダウンの科学技術政策における戦略的イノベーション創造プログラム(政策統括官赤石浩一[7])は総合科学技術・イノベーション会議[8]で各省より一段高い立場から、総合的・基本的な科学技術政策の企画立案及び総合調整を行う[9]。役割は、①科学技術基本政策、②予算、人材等の資源配分方針作成、③実用化、イノベーション創出の促進、④大規模な研究開発評価である。 官民研究開発投資拡大プログラム(PRISM)平成30 年度に創設。高い民間研究開発投資誘発効果が見込まれる「研究開発投資ターゲット領域」に各省庁の研究開発施策を誘導し、官民の研究開発投資の拡大、財政支出の効率化等を目指す、などの総理主導での科学技術政策のPDCAである。
企業の研究開発費はリーマンショック後の落ち込みからは回復しており、大学及び国立研究開発法人等のオープン・イノベーションに向けた意識は高まりつつある。民間との共同研究による大学等への研究資金の受入額は増額傾向である。大学等と企業の本格的な産学連携等は着実に進みつつある。それを受けた総理主導の科学技術政策である。

6.結語 内閣の世界における役割

日本は、海外の都市インフラ開発、トップ企業の世界市場制覇、国内のインフラ再構築、東京オリンピックなど産学官で国家の意思として予算+投融資ミックスを構想する時代に入っている。日本は世界において、科学技術イノベーションによる「Society 5.0」の実現に向けた貢献が求められている。
今後、さらなる科学技術イノベーションに向けて、施策の充実、関係府省や機関の連携・協力を深めることが重要である。その司令塔としての内閣の構築が課題である。安倍内閣の官僚は、反駁したり質問したりするだけの人材ではなく、各省、産官学に対して情報優位を持ち、指導を試みようとする官僚である。最近の研究開発政策は開発をターゲットにしているように思います(C氏聴取)。安倍内閣は、科学技術政策におけるPDCAを行うことに成功し、トランプ大統領、習主席と世界で競争しうる存在である。


[1]相沢英之氏は田中角栄元総理大臣と同年齢でオーラルの近現代史的価値は大きい。
相沢英之氏(あいざわひでゆき):195411月主計局主計官-19636月主計局法規課長-19647月主計局総務課長-19656月近畿財務局長-19667月主計局次長-19698月経済企画庁長官官房長-19706月理財局長-19716月主計局長-19736月大蔵事務次官-19746月退官、197612月衆議院議員-19902月国務大臣経済企画庁長官就任-20007月国務大臣金融再生委員会委員長就任。

[2] 矢野俊比古氏の記憶力は驚異的で通商産業省の政策立案、行動が丹念に記録できた。
矢野氏(やのとしひこ):1948年東京大学法学部政治学科卒、商工省(現経済産業省)入省、産業資金課長、基礎産業局長、産業政策局長を経て、1980年事務次官就任、1983年参議院議員当選(1期)、2013年死去。

[3]日本政策投資銀行(2002)『日本開発銀行史』日本政策投資銀行

[4]日本政策投資銀行(2002)4.経済復興と政策金融 第1節第2次世界大戦直後の政策金融 第1章日本開発銀行の設立と初期の政策金融」『日本開発銀行史』日本政策投資銀行

[5]産業基盤整備基金は中小企業総合事業団、地域振興整備機構とともに中小企業基盤整備機構に平成2004年統合された。

 参考文献
足立伸(2002)「財政・会計制度」城山英明・細野助博編著『続・中央省庁の政策形成過程』(中央大学出版部)
牧原出(2013)、政策決定における首相官邸の役割、2013627
https://www.nippon.com/ja/features/c00408/
城山英明・細野助博(2002)「中央省庁等改革(橋本行革)とその後の課題」城山英明・細野助博編著『続・中央省庁の政策形成過程』(中央大学出版部)



[1]日本たばこ産業会長。東京大学法学部卒、1974大蔵省入省(1980日本開発銀行人事部出向)、主計局次長、2001内閣総理大臣秘書官5年間(小泉純一郎首相)、2006年理財局長、大臣官房長、主計局長、財務事務次官、内閣官房参与から現職へ
[2]内閣総理大臣秘書官6年目。東京大学法学部卒、1982年通商産業省入省、日本機械輸出組合ブラッセル事務所所長資源エネルギー庁資源・燃料部政策課課長経済産業省大臣官房総務課課長、経済産業省貿易経済協力局審議官、資源エネルギー庁次長から現職へ
[3] https://www.mof.go.jp/zaisei/matome/zaiseia271124/kengi/02/05/index.html
[4] http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa201801/1398098_001.pdf
[5]中曽根康弘内閣(198211月~8711月)はリーダーシップ強化、内閣強化として、官房長官を各省に対して優越させ、審議会などを活用した。橋本龍太郎内閣(19961月~987月)は省庁を削減(城山・細野,2002)し、内閣に特命担当大臣を設置し、各省を越えた政策決定、調整を行わせた。大蔵省が解体され、1990年代からの護送船団方式への内外の批判と行政改革により、財務省、金融庁に分離し、予算・財政投融資と銀行融資の分離が起こった。
[6]相沢によると「昭和30年代主計局長森永貞一郎のとき、経済財政政策を円滑に進めるためには、予算の編成、税制、財政投融資を一体として運営しなければならない。当時、主計局総務課が実質的な財政投融資の審査をしていた。理財局に財投の権限を移した。」
[7] 85年(昭60年)東大法卒、旧通商産業省へ。17年内閣官房内閣審議官。東京都出身
[8]内閣総理大臣を議長とし、議員は内閣官房長官科学技術政策担当大臣総理が指定する関係閣僚(総務大臣、財務大臣、文部科学大臣、経済産業大臣)民間議員等14名で構成。
[9]平成131月、内閣府設置法に基づき、「重要政策に関する会議」の 一つとして内閣府に設置(平成26年5月18日までは総合科学技術会議)。

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