2011年3月5日土曜日

世界の消費行動のトヨタ方式化 持続型消費社会の原理を求めて

米国において消費のトヨタ方式化が進む可能性 中国、インドそして世界の消費行動の未来は?

清家彰敏

 消費が日本はトヨタ方式ジャストインタイムである。米国は週末スーパーで食料品を買い込み大きな家に大量に在庫している。日本では毎日スーパー、コンビニに行き食料品を買い家の在庫は少ない。日本は生産がトヨタ方式であるように、消費もトヨタ方式となっている。それが日本最大の小売企業セブンアイホールディングがスーパーであるイトーヨーカ堂からコンビニエンスストアであるセブンイレブンへ業態を変えていっている理由でもある。
 米国の広い大地と移動距離の大きさ低い人口密度は在庫を必要とする生産と消費を成立させ大工場と大きな家を産み出した。本来大きな家は家族以外の需要を賄うものであった。王宮、貴族の館が大きいのは国民と外国人の訪問のためのスペースを含んでいるためでもある。米国の大きな家は疑似王宮、貴族の館としてデザインされているとも見なせる。本来は流通距離の大きさから造られた大きな家が別の目的で造られた王宮、貴族の館に疑似してデザインされたことは米国人の意識、生活様式に大きな影響を与えた。まるで貴族のような訪問客の多さ、パーティーなどである。
 また米国の流通距離の大きさは自動車を普及させた。しかし、これも別の目的で造られた欧州貴族の馬車を疑似してデザインされ、米国人の意識に影響を与えた。この大きな家と自動車が世界の憧れとなり、その意識が20世紀を支配した。米国人の夢は棄ててきた自分を受け止めてくれなかった母国の支配層であった欧州貴族を疑似することでしか満たされなかった。この構図はアジア系米国人も同様である。
 この米国の大きな家と自動車は流通距離の大きさと在庫の必要から生まれたものであって、貴族の館と馬車とは成立理由が異なっている。モノは成立理由が失われると変化して、失われる。環境保護資源制約は流通距離の大きさに制限を加え、インターネットは距離をゼロにした。また米国も無限に広くはない。米国の自動車は環境保護資源制約により小型化していき貴族の馬車ではなくなりつつある。米国の大きな家も環境保護資源制約の影響で小型化を余儀無くされる。
 小型化は在庫スペースの減少、消費のモデルの転換を米国人に求めると思われる。在庫の無い米国生活への革新である。そのモデルとなるのが消費のトヨタ方式化ではないだろうか。米国企業はデルコンピュータなどトヨタ方式化している。またトヨタ自動車、本田技研工業などの米国法人はトヨタ方式である。つまり米国の生産はトヨタ方式化しつつある。生産と消費が異なる原理であることはその間に在庫を必要とする。また金融による投機など機会主義的行動も起こることになる。
 環境保護資源制約、インターネットは流通距離のジレンマから米国を解放し、消費における在庫の必要性を無くし、米国における生産と消費を同じ原理、トヨタ方式にすると思われる。大きな家も自動車も無くなる。トヨタ方式は米国人の意識をも変えることになる。
 この原理が米国で消費行動を変化させ、持続型消費社会へ移行するか?中国、インドは将来どうなるのか?またその変化が起こったとして定着するのか?

 そして世界化するのかが今後の最大の視点のひとつである。

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