4.欧米の経済危機と中国のバブルの危機?
20世紀、米国とソ連(ロシア)が量産に移行し急成長した。米国は宣伝、ソ連は計画によって量産を行った。量産型国家は米国とソ連であり、欧州と日本の量産への移行は遅れた。特に日本は第二次世界大戦終了まで量産への移行ができなかった。
第二次世界大戦
ドイツ、日本は量産型国家である米国、ソ連に敗退、その後両国は敗戦を契機に量産に移行した。
1970年代
量産国家の限界か、米国、ソ連の成長は限界に達し、両国とも経済的低迷となる。米国企業の宣伝も市場の変化を捉えることはできず、ソ連政府の計画は市場の満足を得ることができなくなった。米国、ソ連ともに、経済の低迷を止めることはできなかった。
しかし、欧州はドイツの成長によって、全体として経済を成長させ、米国と世界は日本の成長によって、1980年代まで成長を継続させた。1980年代前半、自由主義圏は日本とドイツの成長によって全体として経済を繁栄させたが、共産圏はソ連の経済が低迷し衰退した。
1980年代後半共産圏崩壊
80年代後半、共産圏国家は崩壊、1990年代自由になった多くの国民は資本主義国家へ移民した。特に特権階級である高級官僚などは資産を伴い米国を目指し移民する。
1990年代 旧共産圏国家から米国への移民
米国は1990年代、移民がもたらす経済効果などによって成長を行う。1990年代からほぼ20年間で米国は人口が2億3千万人から3億人へ増加した。人口増はすべてが移民ではないが、7千万人という人口増は英国の全人口5千万人を凌ぐ、この人口増は成長に貢献する。特に豊かな移民の経済貢献は大きい。
資産とともに移民する元共産国家のエリートたちは、住宅・自動車・家電、家具、洋服など生活用品を必要とする。また都市インフラは増強されなければならない。これが移民経済であり経済成長へ貢献する。
エリート移民は共産国家においても資産を形成し、海外へ移転させていることもある。彼らは資産とともに移民するので、購買能力があり、成長への貢献は大きい。
2001年9月11日同時多発テロ後、
米国は移民規制を行い、海外に対して強権的政策を行った。1990年代、中国は徐々に成長し、1997年のアジア危機を乗り切った。このことで世界の投機筋の信頼が増加し、国家としての自信も出始めていた。投機筋は欧米留学エリートと連携し、エリートは新興国でも資産形成を始めた。それは中国における欧米輸出による成長である。
2005年くらいから、中国国内で豊かになるほうが米国に移民するより有利であるとの見方も出てきた。逆に新興国などの国際化の進展と所得の上昇で移民は容易になり、低所得者、弱者の先進国への移民も多くなった。
2000年代
徐々に移民などの質が低下する中で、移民による経済成長モデルを維持するため、支払い能力の無い移民などへサブプライムローンを欧州投機家などが提供するモデルが主流になってきた。これは移民経済を支えてきた産業と金融機関の連携でもあった。
リーマンショックで米欧経済危機(2008年8月世界で投機資金168兆ドル)
2008年リーマンショック以降、
中国はリーマンショック以降のインフラ建設などの内需関連資金が投じられた。2008年以降で推定500兆円の投融資が行われた。推定500兆円の内訳は金融200兆円、富裕層150兆円、地方政府100兆円、それが政府投資40兆元に加わった(日経新聞OB)。
中国だけでなく、新興国、発展途上国などにおいて社会インフラ建設ブームが起こっている。多くの国で住宅・自動車・家電供給、都市インフラ建設が続く。「擬似移民」型経済成長(呼称・定義を考慮中、良い言葉があれば教えてくださいby清家彰敏)が米国外で広く世界で再現されている。
2011年現在で世界の投機資金は200兆ドル以上といわれている。
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