2010年7月26日月曜日
輸出を忘れた日本社員 国際人という人種がいるらしい
世界には「国際人」が溢れているらしい。これは人種か?
米国、英国人や華僑、印僑と日本人が1対1で世界で競争すれば、現在は絶対負けるらしい。
米国人や華僑は世界で何をしたいのか。それは国際人でないとできないのか?そこから始めよう。
政治家、軍人、文化人、ボランティア、観光客・・・といったお金の感覚が希薄な人々を除こう。日本の政治家が国際人ではないため、日本は大損しているらしいが、どこでどの程度損をしているか、ピンとこないので話題から除きたい。
経営学者からみるとやはりお金で損をしているとピンと来る。
ビジネスマンは輸出・海外進出・海外投資・・のいわゆるビジネスのために海外へ出ている。
これならピンと来る。国際人でないため売れなかった、「損を5億円した」なら子供でも分かる。
現在、世界は輸出が最大のビジネステーマになってきた。
中国人は飛行機から船、トラック、荷車、人間が背負って、国境を超える。世界に製品を運んで行く。ヒマラヤ越えで最先端機器が背負われて輸出される、なんてこともある。輸出は辛い。買ってもらうからである。
輸出を増やすために「日本人は国際人にならないとだめ」なら、ネコでもわかる。
さて、輸出をするためには国際人=米国人・華僑の人のようににならないとだめなのだろうか?
今から米国人のまねをして、いつ輸出をする力が身に着くのだろうか?
国際人といった似合わないことを付け焼刃でするより、恥ずかしがりやな日本人が寡黙に集団を作って、皆でリスクを不得手をカバーし合い助け合い輸出をする努力重ね、日本人の輸出ノウハウを蓄積すべきではないか。
現在、財務省(大蔵省)、経済産業省(通産省)と日本経団連(経済団体連合会、日経連)の歴史研究で元事務次官で政治家経験者にオーラルしている。
1950年代、60年代の貧しかった時代の輸出のことは大きなテーマである(例えば、林信太郎・柴田章平著『産業政策立案者の体験記録』国際商業出版、林氏は通産省、柴田氏は大蔵省)。
ソニー、トヨタ自動車が海外進出した1960年代の輸出と現在の輸出はまったく異なる。
かつての日本はブランドもコネもなく、苦労して輸出を行った。
ところが、現在はどうだろう。輸出とは名ばかりの現地工場への部品・素材輸出が溢れている。自社内輸出に努力が必要ないとは言わない。しかし、やはりここからはかつての輸出ノウハウは蓄積されない。
ソニーの2代目社長盛田昭夫氏は国際人になりたかったのだろうか。彼は輸出に成功したかっただけである。
その原点に今日本の社員は帰ればいいだけで、米国人や華僑になる必要はないのかもしれない。
1960年代の盛田輸出を支えたのはソニーの技術陣と組織の支援があったからではないか?その支援のノウハウは1980年代以降の海外進出、自社内輸出で徐々に消えてしまったのかもしれない。
考えてみよう。歴史から学ぶなら1960年代、70年代かな。
今は、輸出とは名ばかり、実は「企業内輸出」が多い。海外工場へ国内工場から部品・素材を送る。これも統計的にも、営業的にも輸出であるが、かつての苦労をし、リスクを負った輸出とは似て非なるものである。
日本人は集団で動くのが好きだから、集団で輸出をするノウハウがあった。
今は、集団で輸出をするノウハウが無くなっているだけであって
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