2010年10月5日火曜日

日本における経営学形成への試論(1)

1 構造主義とポスト構造主義
 経営学における構造主義的志向は、経営において何らかの形で構造を重視する立場である。研究対象を構成要素に分解して、その要素間の関係を整理統合することでその対象を理解しようとする点に特徴がある 。構造主義では、デカルトの哲学に象徴されるように、哲学、論理学、数学においては、すべてのものは部品に分解され、部品の合計が全体である。したがって、経営においても正確に表現するためには、要素に分解され、全体が理解、創造された 。
 哲学、論理学、数学に求められた厳密さで、言語が再設計され、正確な構造が発明され、言語が科学化する。次に経営においてもより厳密な分析、再設計が行われ、構造主義で組み替えられていった。それが経営における構造主義である。
 それに対して、ポスト構造主義、ポストモダンとは、あらゆる諸要素を複雑に重ね合わせ、過去の諸経営思想及び、諸企業事例等から引用することによって構成される。ポストモダンの特徴としては、一つの強力な原理なるものによる支配というものが存在しない。それ故、折衷主義的傾向、様々な諸要素を寄せ集めることによって成立している。ポストモダンは、画一的及び均質化ではなく、差異を主張することによって登場した 。差異を強調するとき、多様性は曖昧さを生み、正確な表現は困難になる。

2 ポスト構造主義経営学とメタファーの多用
 ポスト構造主義、ポストモダンでは、どうしても分析的、正確に表現できない感情、意思、暗黙知等を伝える手段が必要なる。メタファーとは、例えのことで、あるカテゴリーに属することを、類似性を有する別のカテゴリーで表現することを示している 。
 メタファーは形式が創造されるまでの混沌とした状況で多く使用されるという特徴を持っている。経営理論が創造される場においても、初期の理論はメタファーが多用される傾向が見られる。この点でメタファーと形式は、経営理論の創造、評価、観察において重要な意味を持っている。
 経営現場、経営教育現場をイメージ、メタファー(隠喩)とシンボル(象徴)で観察をすることができる。ある体系から逸脱する方向性(メタファー)と根源的なものへと凝縮する方向(シンボル)が企業事例、教育事例の表現の基本的な構造である。教育現場は両者が調和的であるか、対立的に共存するかで観察することが出来る。

3 日本企業では教育は欧米より意味が大きい
 日本企業の経営者の理想は、全従業員が自律的活動で自らの職務を改善し、進化を続け企業が絶え間なく成長していくモデルである。トヨタ自動車の工場では「自働化 」と呼ばれる。従業員は経営者がいなくても経営者の意を挺して働き、向上し続けることが理想である。経営者の理念=DNAがなくなってもまったく影響されず進化しつづける組織である。トヨタ自動車に最初のDNAを植えつけたのは、豊田喜一郎元社長、次のDNAは石田退三元社長、大野耐一元副社長、それ以降は変化が基本的に無い。その3名以外は大きな変更を加えていないともいわれている。経営者が居なくても、まったく全従業員の行動が変化することはなく、進化しつづける。この間のメカニズムは同質的な知的傾向を持つ従業員の連続的な再生産である。
 欧米の企業、中国の企業は経営者が重大な意思決定を繰り返し、企業は危機を乗り越えていく(清家・馬,2005)。経営者は意思決定、従業員は行動である。日本では、経営者が顧客の代理人となり、意思決定と行動を行う。そして、この意思決定と行動を組織で共有する。組織の構成員にその意思決定と行動を委譲し、自分がやる以上に意思決定と行動の水準を向上させて、経営者が居なくてもできる組織にする。これが日本企業の現場の特徴である。

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