4 新表現主義の経営学の熱狂的受容
1980年代以降の経営理論は様々な表現と価値観が特徴で、新表現主義(Neo-expressionism)とでも呼べそうで、「奔放な理論」により米国から輸入学問を現場の理解で修正しようとした70年代以前経営学と明らかな断絶がある。理論は、大胆な仮説と具体的なイメージが特徴である。
新表現主義は、1970年代後半から1980年代中ごろまで経営者、経営学者、経営教育団体、経営教育者を支配した新経営教育の様式である。知識創造、価値創造を協調する新教育である。それまでの欧米型翻訳経営学(誤訳の再解釈議論も含めて極めて難解で、日本にも合わなかった)の難解さにうんざりしていた経営者、経営団体に熱狂的に受け入れられた。
5 企業教育の大衆化とグローバル化
日本の教育型は一般にドイツなど欧州を基礎にし、それに第2次世界大戦後の米国の占領の影響で米国型が加わったと理解されている 。第2次世界大戦後は、教育機関の最初の顧客は政府、地方自治体であり、占領軍としての米国であった。したがって、顧客志向の教育は、公的機関との間の組織間関係の中で作られた。
第1期は戦後の復興期、初期高度成長期である。行政指導型教育であり、この勝者が東京大学を頂点とする国立大学であり、三菱重工業、東芝、日立製作所、日産自動車、鹿島建設といった企業群へ人材を供給した。この時期、経営教育は少数精鋭に対するオーダーメード教育を求めていた。それに応えるのは欧米からの教科書の輸入と現場理解によるオーダーメードによる修正であった。
第2期は1960年代以降で後期成長期から安定成長期である。企業教育の大衆化の潮流と連動していた。教育はより合理的でコストの安い、レディメードの登場を待望していたのである。消費者を顧客と考える企業が顧客となり、教育機関はその組織間関係の機能として人材を供給した。これらの企業は販売網、部品供給企業群の系列組織を形成し、消費者と企業との組織間関係が形成され、私立大学を中心にこの組織間関係に組み入れられた。
顧客志向の従業員が日本企業では正当性を持っている 。顧客への貢献は1社のみでは限定された貢献となるため、組織間関係にその企業統治は及ぶことになり、トヨタ自動車のなどでは数百社から数万社を超える企業がその組織間関係の対象となり、教育機関もその組織間関係に組み入れられることで合理性を持たざるを得ない。松下電器産業のパナショップといった販売網、トヨタ自動車のディーラー網、系列への大量人材供給機能を果たしたのが大都市の私立大学である。この時期、都市部の私立大学は都市部へ地方から人材を移動させ、工場の地方移転という形で資本を都市から地方へ移動させた。これは教育の大衆化と呼ばれ、経営教育は大量生産の時代を迎えた。
日本では、終身雇用、年功序列、企業別組合等の日本型経営への人材供給を前提に、教育者の利益を中心に考えた長期志向の大学統治が行われた。
この日本型大学は、1990年代以降の不況とグローバル競争の中での日本企業の変質と連動し変質し、改正商法による株主主権中心の米国型企業への日本企業の転換に合わせ教育が修正されつつある。また2009年金融危機により日本企業では再度、顧客志向ものづくり型への日本企業の揺り戻し的転換が起こっている。度重なる供給先である日本企業の変化は、組織間関係を形成している大学に企業の変化と連動することを要求する 。
また日本企業は現在世界を中心に海外戦略を行っており、その帰結として顧客の概念は徐々に変化しつつある。この顧客の概念の変化が、教育機関の組織と組織間関係を変革させる。このように日本企業とその組織間関係を顧客志向と規定し、次に顧客の概念の変遷が、日本型企業統治の変遷であると考えれば教育改革はその枠の中で連動されなければならない。
6 現代の経営学と大胆さ
現代の経営学は、大胆な仮説を実証データで検証、単純化された用語の使用、対比的用語の多用など、技法的には思想史における抽象表現主義の影響も受けており、哲学分野などの隣接領域の人材を思想的媒介とし、教育団体にとって操作性の良い人材が主導者として選択され、若いシンボル的人材を定期的にデビューさせる。
経営教育団体のマーケティングとプロモーションによってこのブームとも呼べる現代経営学、経営教育が、大量生産のテキストとして創造される時代になった。その結果、経営教育団体主導の経営学の登場となり、現代経営学は方向を見失いがちである。現代経営学の方向喪失、経営教育制度の見直しの中、経営教育は、どういう方向をとるべきなのかというのが課題となっている。特に日本企業の多くは隔離された経営文化のなかにあり、経営学におけるポストモダンとは、嫌悪すべき伝統が力を失った開放的な状況のようにみる傾向がある 。
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