ロボットが機能する工場、医療サービス現場、検索ロボット、売買ソフトが活動するインターネットの場では、ロボットやソフト、人工知能は徐々に人間を助ける存在から、人間に代わる存在へと進化しつつある。工場ではロボットは自立性を増して、多くの場合人間は介在しない。戦闘ロボットは米国軍の主力兵器として自立性を増している。日本の最先端宇宙ロボットであるハヤブサは世界で日本の技術がもっともすぐれていることを性能で実証した。小惑星イトカワと地球との飛行中、イトカワでの活動中、ほとんど自立して使命を達成しえた。世界の軍事専門家でハヤブサの技術に驚嘆しなかった人はいないと思われる。
またインターネットの検索ビジネスでは、最後の検索結果を人間が利用するまではまったく人間の手を借りず、検索が行われる。このことは、多くのソフトが人間から独立し、主体性を高めつつあるとも考えられる。
さて、工場、インターネット上の経済で人間は経済主体である。ここで人間から独立した活動が行えるロボット、ネットロボット、ソフトなどを経済主体として規定できる。経済主体(economic agent、economic man、 economic unit)は、消費者と企業を一般に対象とする 。経済主体は人工知能の進化、ロボットの登場によって、人間だけではないと明確に認識できるようになってきた 。このとき経済の対象は人間とソフトの統合システムとならなければならない。
この規定が許されれば、工場、インターネットの場での生産、販売、消費といった活動は、人間とソフト(ロボット)の2種類の経済主体による「混在」経済として説明できる 。ビジネスモデルで利活用されるソフトは大部分が生産・販売の人間支援であり、インターネットビジネスで人間が関わる時間(マンタイム=人間時間)を次々とソフト(ソフトタイム=ソフト時間)に置き換えていった企業が勝者になっていく可能性が高い 。
将来、特に消費の人間支援ソフトは、インターネットにおける人間支援ネット経済の中心となる可能性が大きく、消費・小売業の課題として消費支援ソフト以外の人間支援ソフト開発を経営ノウハウで行うことが増加すると予想される。インターネットで学生が遊び、主婦がショッピングをしているときの検索ソフトは消費を行う人間支援としてフル活用されている。インターネット上で今後、増加するのは生産・販売の人間支援ソフトより消費の人間支援ソフトであると思われる 。
その理由は、生産・販売の人間支援は競争力を持った個人(専門化)の分身として創造されなければならない。それに対して、消費の人間支援ソフトは消費者(素人)の分身であり、競争力をさほど要求されない。さて、人間支援が無数にインターネット(人間支援ネット)上で、人間支援対人間支援でビジネスを行うのが未来の経済である。
現在、企業にとって創意工夫による競争優位を作り出せるのは、人間とソフトのコラボレーションツールの開発などが多い。これらの組織能力向上の改善につながる人間支援ソフトの開発と利活用ノウハウの作成がインターネットビジネスの新しいマーケットになると思われる。
インターネットにおいてヤフーが登場したときは、人間をかなり介していたため検索ビジネスはソフトto 人間が主であったが、グーグルの登場と、各種検索ロボットの開発、人工知能研究の進展と検索システムへの応用で、急速にソフト to ソフトへと進化した。
ロボット経済の哲学を求めて
未来の経済における人間支援ソフトの開発について、その方向性とその経済における哲学について模索、考えてみたい。インターネット上に無数に登場し、企業における従業員、消費者を支援しようとしている人間支援ソフト、ネットロボット、ロボットは実は、人間の多くの機能の一部を効果的に切り出して作られている。企業は従業員である人間にその機能の全てを求めているのではない。求められているのは人間の機能のうちのほんの一部だけなのである。にもかかわらず、知識だけを切り取ることが不可欠であるため、大半のいらない部分を含めた人間関係が企業内の仕事の場に巻き込まれることになる。これが実はストレスなのである。
仕事仲間が親友であっても全人格を好きになることはできない。好きな女性でも、嫌なところは必ずある。嫌なところがあるからこそもっと好きになれる、などともいうが、やはり嫌なものは嫌である。これらは全て人間と知識は切り離すことができないという考えから発生しているのである。将来は関係が個人を求め、個人を解体し、人間支援ソフトを作り出していく時代がくると予想される。このように考えれば、人間支援ソフトのインターネットでの急増は「個人が関係によって解体されていく過程」において拡大したとも考えられる 。これは人間という種の未来における宿命なのか、進化なのか、ロボット経済哲学で問われなければならない。これは我々が「2001年宇宙への旅」でキューブリックから課せられた未来、それから問われ続けている何かなのかもしれない。
ロボット経済が未来に到来するとして、その経済の中で、人間における知識の切り離しが上手くいくかどうかが、実は人間社会、サイバー社会の進歩、ロボット経済の構築に大きく関わっているのである。ロボット経済の哲学はここから模索されねばならない。
例えば、セザンヌの絵があったとする。そこに、セザンヌは嫌いだけどその絵は好きだという人がいたとすると、その人は「絵」という「知識を外部化した存在」だけに目を向ければ良い。「絵」を知識の外部化した存在であるとすると、それはセザンヌの分身であり、セザンヌが社会で果たす芸術的貢献を代わりに支援する存在であるということになる。そして、その分身はセザンヌに代わって「人間支援機能」を果たす存在となる。「絵」でもソフトでも同様であると考えるとロボット経済の未来イメージは理解しやすい。
将来は関係が個人を求め、個人を解体し、人間支援ソフトを作り出していく時代がくると予想される。そのための哲学、それがロボット経済学の模索の一里塚である。
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