創業のパートナー 二人三脚 理想のパートナー
本田技研工業は、本田宗一郎と藤沢武夫という個性の強い二人の創業者によってつくられた。本田は小学校卒、藤沢は中学卒であった。本田は技術で藤沢は経営で生涯のパートナーだった。本田技研はオートバイで世界制覇をし、自動車でも世界的なメーカーへと成長した。
本田42歳、藤沢38歳のときに2人は出会い。本田は「顔を見ただけで、これはいいと思った。ちょっと話をしただけで、ぼくと性格の違う人だとわかったから、すばらしいと感じた。話が進むと、ロマンチックな人だなあと気づいた。高い理想を持ちながら、本当に自分から体を動かし実行するタイプ。自分でやらなければ、きちんと論理を通して、他人に任せる人間だと言うことを、激しく感じた。夢だけを追うような人だったら、感動はしなかっただろう」と藤沢を感じた(崎谷、1979)。
藤沢は語り合った後に、「こんなものすごい人間、これまでつきあったこともないし、小説や歴史の書物でもお目にかかったことがない」と驚嘆した(崎谷、1979)。
昭和25年オートバイの輸出商談で、外国人を浜松で接待し、酒宴を設けた。翌朝外国人がトイレに入れ歯を落とした。昔は、トイレは水洗ではない。ウンコはトイレの真下に溜まっている。料亭は大騒ぎになった。本田は裸になって、オチンチンをぶら下げながら、キンカクシからソロソロ下りていった。やがて、「おーい、あったぞ」と大声が上がった。本田は入れ歯を抱え風呂に入り、入れ歯をクレゾールで消毒した。その後、本田はお座敷を設け、外国人に返す前に、入れ歯を口にくわえ踊りだした。大爆笑が広がった(崎谷、1979)。
遅く目が覚めた藤沢は、この話をきいた。「あたしだったらどうしたか。第一、そんなこと、カネを出して、誰かに頼めばすむことじゃないか。だが、あの男はカネで人を動かすことはしない。しかも、踊りまでおどって、沈んだ料亭の空気をパッと明るくさせる。そのうえ、入れ歯が清潔であることを実証してみせる。あたしにはできねえ。あたしは、この男にはとてもかなわない(崎谷、1979)。」
藤沢の驚嘆はしびれるような心酔に変った。本田と藤沢の理想のパートナー関係はこうして生まれたのである。
経営のパートナー 本田と藤沢
汲んでも尽きぬアイデアを次々だしていった”世界の風雲児”本田宗一郎。このような人間にはパートナー藤沢武夫が必要である。ニュービジネスを創業する経営者”藤沢武夫”の条件を考えてみよう。
”本田”を支援する”藤沢”の役割について
著名な経営学者のフォレット(ちなみにフォレットは女性。女性で経営学の歴史に残った巨人は彼女一人?)は「職務はその職務において最もよく理解し最も意欲をもつものが最も大きな権限をその職務に関して持つべきである」と述べている。経営者”藤沢”が技術者”本田”といった専門家へ「的確な指示と評価」を与えるべきであるという考え方は間違っている、とフォレットの論においてはなる。要するに、本田を好きにやらせろ、といっているのである。
この考えは、本田は技術者として自分の仕事を責任を持って行っているのだから、その時、本田が自分の仕事に関してやりたいと思ったことを邪魔することは良くない、というものである。
上記の考え方によれば、現代における技術革新のもたらす情報量の急増と複雑化、人間欲求の多様化によるあいまいな情報の増加、職務の常なる未成熟への対応としてきた専門性の極めて高い職務(例えば、本田宗一郎)の存在の正当性が裏づけられる。
つまり、現在、ニュービジネスに関してアイデアを出し、仕事を夢中になって行おうとする人間は他の人間には分からない独特の感覚を持っている。彼らの感覚は凡人には理解しがたい。この頂点が技術者本田宗一郎である。それでは経営者藤沢武夫ははどのような形で、”本田宗一郎”へ対応すればよいのだろうか。
ニュービジネス創造の経営学 ”喪章でのチェッカーフラグ”
F1(世界の自動車レースの頂点)でホンダが大活躍したこと、本田宗一郎の夢の日々を記憶している人も多いと思う。レーシングカー「マクラーレン・ホンダ」のアイルトン・セナはホンダのエンジンで立て続けに優勝していった。セナはF1の輝く星であった。そのセナにとって、オートバイのホンダ、本田宗一郎はあこがれであった。世界のスピード野郎のあいだで”風になった男 本田宗一郎”は今でも永遠の英雄である。初めてホンダに乗ることになって、本田宗一郎に会ったときの感激をセナは生涯忘れなかった。
ホンダは自動車に進出し、F1で活躍、世界の自動車業界でユニークな車をつぎつぎ生み出していった。本田宗一郎、藤沢武夫は昭和48年そろって引退した。
そして、若者に夢を与え続けた本田宗一郎にも別れの時が来た。享年84歳であった。本田宗一郎が死んだ、本田宗一郎の生涯の夢F1。1991年ハンガリーグランプリ、セナは喪章をつけて走った。しかし、セナの乗るマクラーレン・ホンダのエンジンが不調。セナは抜群のテクニックでエンジンをかばい走る。エンジンが勝負のF1、勝てるはずのない状況。しかし、セナは走る。憑かれたようにセナは走る。セナは本田宗一郎の思い出とともにゴールへ。チェッカーフラグがふられた。セナ優勝。アナウンサーが叫ぶ、世界が泣いた。本田宗一郎の弔い合戦と言われた。セナ以外勝てないレースと言われた。セナの眼が印象的だった。
本田宗一郎の最後の思い出を飾ったセナ。そのセナも、その後を追うようにやがて、無念の事故でF1の露と消えた。しかし、いまも、ニュービジネスを志す若者の心に、世界のスピード野郎の心に本田宗一郎は生きている。
ニュービジネスで、”本田宗一郎”を活かしていない場をよく見かける。
経営管理者は、ニュービジネスを起こす”本田宗一郎”が理解できないとき、どのような行動をおこすか。一般には以下の二つが考えられる。その一つは、むやみに報告、会議を強要することである。それは経営組織の活動とは、まったく無関係である場合さえあり、度を過ぎると専門職能を確立した組織講成員の職務活動を妨害し、彼らの経営管理者への信頼感を喪失させるものとなりかねない。ただ経営管理者は単に知識を求めたいだけなのだ。本田宗一郎にしゃべらせれば、管理が容易になるのでは、との思いこみで会議・報告を繰り返すだけなのである。しかし、ニュービジネスを創造するような人間の話を凡夫がいくら聞いても時間の無駄である。
もう一つは、予算と人事権の乱用である。これは組織講成員の意欲を削ぐだけではなく、無理解に行為によって、せっかくの職務システムを破壊してしまうことになりかねない。予算と人事権の乱用によって経営管理の主導権を回復しようという試みは企業全体の活力を低下させる。
専門家の動機付けと成長
アージリスは人間を”発展する有機体と規定し”正常な組織構成員は7つの以下の次元において成長の傾向を示すと指摘している。
(1)受け身の状態から能動的積極的になっていく傾向。
(2)他人に依存する情況から独立の状態に発展する傾向。
(3)数少ないわずかの方法でしか行動できない状態から、多様な方法で行動でき るようになる傾向。
(4)その場限りの浅い興味から、無限の深い興味を持つようになる傾向。
(5)短期の展望から長期の展望へ発展する傾向。
(6)組織の中で従属的地位にいることから、同僚に対して同等または上位の位置 を占めようと望む傾向。
(7)自己意識の欠乏から、自己意識と自己統制を持った人間へと発展する傾向。
フォレットによれば、強圧的に発せられる専断的命令は、下記の弊害を持っている。
① 指示を受ける人々から獲得しうる貢献(提案・助言)を失う。
② 人間の自律的欲求に反するために、発令者と受令者の間に摩擦を惹起しやすい。
③ 自分の仕事への誇り、興味を失う。
④ 責任感を減退させる。
専門的に極めて優れた職能を持つ組織講成員にとっては、このような専断的命令の弊害は特に顕著にあらわれると思われる。専門職能的に優れた人間の職務は、ごく小数の関連領域の研究開発等を担当するものしか理解しえない故に、的確な指示を与えることは困難である。このことは逆に的確な職務の監視が困難なことを示している。つまり専門的に優れた職能を持つ者は、積極的な組織行動をおぎなえば、経営管理者の予想を越えた成果を上げることができ、また、消極的に組織行動を行えば、誰にも気づかれず、誰からも否定的な評価を受けることなしに、予想外の低い成果で職務を完結させることが可能であると考えられる。
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