現在ほど戦略的に「名人」「達人」「絶人」が求められている時代は無い。
「絶人」とは、また免許皆伝とはなんであろうか。
熟練技能者は比較的単純な工具をうまく使いこなし、部品から作り上げる。その時の材料の性質、作業の手順前後、環境等によって、同じ機能を持つ部品でも複雑に異なることになる。この複雑に異なった部品を組み合わせることが巧みなほど一般に熟練度が高いと言われる。
現物合わせといって、うまくはまらない部品等は、その都度削ったりして、熟練作業者は1つ1つ異なるオーダーメードの高級車を作り上げていく。したがって、ある高級車の部品を他の高級車の同じ部位に組み付けようとしても、うまく組み付けられない。オーダーメードを追求すると部品そのものの互換性がないのである。
かつて欧州ドイツなどにおける職人、日本においても職人の技法はすべてそのほとんどを暗黙知に頼っていたと思われる。
日本刀の製作過程はそのもっとも典型といわれる。製作における暗黙知と体力を最高の状態で熟練に結び付けるために、厳しい精神的鍛錬を要求した。一時、企業における職場の目標として「明るい職場」ということが言われたが、戦後の代表的な生産技術者であった故和田栄治氏は「鍛錬の場」として以下のように言っていた。よく飲んで清家もっと勉強しろと怒られた(^^)。
熟練を考えるとき、明るい職場、楽しい職場といった考えはいかがなものか。真剣な職場、神々しい職場というのが、熟練の基本である。刀鍛冶はしめ縄を張って、身を清め、刀を鍛えたものだ。
このような熟練の場では技術の伝承は暗黙知の共同化によって行われる。師弟関係がその典型であり、その頂点が免許皆伝である。この過程は形式知による結合化をかなずしも必要としない。
故中原勳平氏は上記の和田氏が大企業の生産技術の代表者の一人であるのにたいして、戦後急成長した中小企業(大企業になったものも多いが)の商品開発技術を代表した一人であった。中原氏は、ヤマハ音楽教室、不二屋「オバケのQ太郎」、マツダファミリア等の画期的なイメージ戦略を企画した。彼は、日本でニッチ市場を開発していった製品と、それに係わった製作者の実践によって淘汰された高い熟練について述べ、結びで「剣術の極意」のメタファーを取り上げた(彼のマンションで酒を飲みながらよく聞いた(^9^))。
免許皆伝の書とは何も書いていない。そこになにか書いてあればそれは皆伝ではない。
正確に言うと何も書いていないわけではない。技術に関してはなにも書いていないということである。書いてあることは精神面だけである。
小野派一刀流の皆伝の書には冒頭に「5匹の猫」の故事(メタファー)が書いてある。このメタファーの含意は、もっともねずみを恐れさせた強い猫にねずみの取り方をたずねたとき、「ねずみとはなにか」と答えたという、ものである。
まさに暗黙知を高度に発揮させる心境だけを問題とし、技術に関する形式知を集団、特に組織に移転しようとはしていない。
いま世界でもっとも求められているのは「標準化」「絶人」???
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