東芝vsパナソニック 日産vsトヨタ
トヨタ自動車、パナソニック(旧松下電器産業)もかっては新しい事業の創造過程によって、事業化された。トヨタ自動車は豊田自動織機の自動車部門として創業、やがて分離独立し現在の大企業になった。パナソニックは松下幸之助が創業した。どちらも、当時のニュービジネスとして先取り的に創業している。
トヨタにとってのニュービジネスは自動車、パナソニックは家電であったと考えられる。トヨタは企業内ベンチャーであり、パナソニックは起業家松下幸之助の創業したベンチャーであった。
日本の産業、おそらくは世界でも、地方でもそうであると思われるが、産業は3つの型の企業で構成される。
第1の型は、国策会社的な国や地方自治体の代行者といった企業である。自動車においては現在はルノーと一体化しているがかつての日産自動車がそれであった。家電においては東芝が典型である。これをある官僚はこのように表現している。「世間が評価している企業と国が評価している企業は違うんです。企業にはその企業があって国が助かる企業と、国があってその企業が助かる(儲かる)企業とあるんです。東芝があって国はずっと助かってきた。」
このような企業は、国がやるべき基礎研究や儲けの少ない製品開発も意欲的に取り組む。東芝は昭和40年代、将来の郵便事業の発展のためにと、当時としては画期的な郵便番号読みとり装置の開発を儲けを度外視してやった。「東芝は儲からんことばっかりやる。」「東芝は日本の技術を背負ってきた。」
この型の企業を「公共型(公共指向型)」と呼んでみよう。
小学校のときの優等生、クラス委員といった人がそのまま企業になったといったところである。クラス、学校を彼らは背負っているかのごとく気負って、先生の代弁・代行をする。
第2の型は、公共型の企業の競争者として登場する。日産に対するトヨタ自動車、東芝に対するパナソニックである。公共型が国、地方自治体を意識するのに、この型は消費者(お客)を強く意識する。公共型が研究や開発を重視するのに対し、効率・品質・価格(値段)を重視する。公共型が将来性や高い技術力を強調するのに対し、現実的である。
「乾いた雑巾をまたしぼる」「ケチケチ企業」といった代名詞がこの手の企業にはつきまとう。要するに節約家である。無駄なことをする奴、ぜいたくをする人間は敵だと思っているのである。
「お客様にもっとも喜ばれる商品を安くお届けする」が社是である。国や地方自治体から指導されても、お客の利益にならない(無駄である)と思えば、露骨に腹をたてて、その指示を無視することさえある。国の指示で10億円のよけいな開発をすれば、商品の値段が何円上がるといった計算が頭の中でぱっとひらめく。毎日、勤勉に働き、カッコ良さや、ミエはどうでもよい。
この結果、無駄なことはしないから商品の原価は安くなる。トヨタのカローラは原価で日産のサニーより2割は安いといわれた。パナソニックの創業者松下幸之助は「水道哲学(だれもが十分に飲める水のように大量の電器製品を家庭にお届けする)」を社是にして、電器製品を大量生産した。
このような企業では量産品を作る技術者がその企業のエリートであり、スターである。公共型の東芝では消費者向けの家電製品を作る技術者より、”政府御用達”の重電を手がける技術者がエリートとなってきた。
この型の企業を「効率型(効率指向型)」と呼んでみよう。この型の企業が日本では業界NO.1になることが多い。
小学校のクラスでも、机帳面に整理整頓して、ゴミひとつない机で、コツコツ勉強している子供といったイメージである。要するになまけものは嫌い、無駄なことはしないのである。
公共型は国家・地方自治体・不確実な未来に振り回されて無駄が多く、商品の原価は高くなる。この効率型との競争が商品の値段を押さえているといえよう。
パナソニックとトヨタ自動車は東芝、日産の競争者として出るべくして登場したのである。
ソニーとホンダ
第3の型がソニー、ホンダである。公共型が国・地方自治体を向いていて、効率型が消費者を向いているのに対して、この型は自分自身の内面を向いている。公共型が研究を、効率型が値段を意識するのに対して、この型は自分の”趣味”を意識する。要するに「俺がやりたいことをやりたい。俺が欲しいものを売りたい」のである。効率型が消費者を向いているのに対して、この型は自分自身の内面を向いている。
ソニーのウォークマンは80年代の空前の大ブーム製品となった。その間の経緯は以下である。役員室で、ソニーの盛田昭夫社長の目の前を、井深大会長が考えごとしながら歩いていた。見ると大きなカセットレコーダーを背負っている。「考えごとするときは、どうも音楽がないとね」というのがその理由の主たるものであった。これを見て、「そうか音楽好きの人間にとっては、いつだってカセットが必需品なのだ」と考えたのがウォークマン商品化の端緒であった。これは商品化すれば売れるかもしれない、これが、ウォークマン発売のきっかけと言われる。有名な話である(他に異説があり、ソニー伝説のひとつ)。ところが、発売当時の技術ではカセットレコーダーは重すぎた。これでは、背負って歩くには重すぎる。
なぜ、重いのであろうかが次の事業化の問題となった。カセット機能の再検討が行われた。音声再生機能、録音機能・・・と列挙し、減らしうる機能を検討した。もっとも基本的な機能で、問題になったのが録音機能である。当然商品の形成過程からも、この録音機能があることに関して多くの商品企画者、技術者で疑義をはさむものはいなかった。しかし、軽量化の強い要請と井深会長は録音をしていなかったという観察が発想の転換につながった。再生だけのカセットプレイヤーが事業化されたのである。再生だけであるのでカセット”レコーダー”ではないということで、商品概念自体の変更をともなった。そのような商品が市場性を持つかどうかが組織内での討議の対象となったが、基本的にはソニーの商品企画である”俺が欲しい”商品といった概念に基づけば、録音機能を除去することは合理性を持っていた。。思い切って録音機能は取って、小さなヘッドフォンのみ付けて、発売したのである。ウォークマンは世界的大ブームになった。まさに『地球にヘッドフォンを掛けた』のである。このウォークマンの開発は”俺がやりたい・欲しい”の典型である。
ソニー、ホンダは組織文化として構成員個々が「自分の趣味を強く意識し」自意識が強いと考えられる。「俺がやりたいことをやりたい。俺が欲しいものを売りたい。買って欲しい」といったことで自己の存在を確認するといったところがある。
公共型企業が行政を、効率型企業が消費者を見るように、この型は自分自身の内面を見ている。
公共型企業、効率型企業が市場を押さえてしまったところで、この型は登場する。公共型企業の押しつけがましいところが嫌い。効率型企業の個性のないところが嫌い。したがって、この2型の販売する商品なんて自分の趣味にあわない。したがって、好きなもの、無いものを作る。ニッチ市場(隙間産業)となる。
この型の企業を「趣味型(趣味指向型)」と呼ぼう。
小学校では、先生や、クラスのみんなに無関係に好きなことをして、得意になっている子がいる。動物を飼ったり、工作が得意だったり、みんなの人気者といったところである。先生の指示なんて、わずらわしいだけ、ただただ「何か作っているときは放っておいて欲しい。しかし、作ったものは大騒ぎして見て欲しい」のである。こんな子の頂点に本田宗一郎(本田技研の創業者)、井深大(ソニーの創業者)が居るのである。
ソニーの創業者
井深大は、明治41年栃木県で”天下の古河”と言われた名門企業古河鉱業の技術者(蔵前高等工業卒 現東京工業大学)を父として生まれた。子供のときから、無線の製作に熱中し、興味が知識を、そして仲間を呼び、次々発明を重ね、早稲田大学理工学部のとき「学生発明家・井深」はマスコミでも取り上げられ、有名になっていた。パリの博覧会で金賞をとり、「国際的栄誉に輝く、天才的発明家」と新聞で話題になった(中川、1988)。
このような井深の興味と発明心が後のソニーの創業につながる。ソニーの創業は「自分が欲しいものを作る」「作ったものを大騒ぎしてみて欲しい」といった子供心の延長にあるのである。本田宗一郎も同じである。趣味型企業=ソニーとホンダである。
産業の創造プロセス
趣味型企業と公共型企業、効率型企業の関係が産業を作る。公共型が市場を作り、効率型が市場を広げ、趣味型が市場を多様化する。しかし、この関係は完全な棲み分けではなく、オーバーラップが起こり、絶え間無い競争が起こる。これが産業の構造であり、歴史である。
未来産業予測
重要なことは、未来にもこれが応用できるということである。例えば、現在の通信業には公共型の巨人NTTグループが存在する。この産業が拡大・発展するには効率型と趣味型の企業が求められるのである。
ニュービジネスを考えるとき、これは良い示唆となると思われる。また、創業者自身の性格も重要である。政治家・役人・NGOが好きなら「公共型」を創業すべきだし、几帳面な努力家だったら「効率型」、趣味人なら「趣味型」にならないと事業の成功はおぼつかない。
なお、この公共型・効率型・趣味型の分類は流通・販売業でも適用できそうである。
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