知財マップの概念の革命
人工物の産業においては、地図はこれから作り上げるものであるから、知財戦略は現在から未来が決まる。現在をどのような体制にするかが、未来を決める。基本特許、基盤特許を押さえた企業連合の地図が、DVDの将来を決めるといった知財戦略となる。また、地図の作成者は、複数存在するのが通常であるから、世界はいくつかに分割され、その地図は正誤ではなく、利用者が異なるだけであり、利用者が減った地図は消滅する(自然物の産業は技術の成果を利用する産業であり、技術史の中で位置づけられる。また技術の開発と国家の形成・消滅の関係はトインビー等でも取り上げられてきた。国家の興亡の史観がこの人工物の産業における地図の概念の理解と知財戦略を構想する際に有効と考えられる)。
さて、地図の重要さは、コンピュータの能力向上と相関している。コンピュータの能力が向上すると、シミュレーションで商品の競争力を発売以前に評価することが可能となる。地図の精度とコンピュータの能力、シミュレーションモデルで優位に立った国家、企業が、競争国家、企業を凌駕することになる。
知財戦略は、自然物の産業においては、地図の精度の向上と、その地図の中にどのくらい自国、自企業の独占排他的権利を書き込むかにかかっている。人工物の産業においては、地図は勝手に描ける存在であるから、1)その地図にどのくらい独占排他的領域を作図するか、2)競争国家、競争企業の地図が機能する場をいかに狭めるか、が知財戦略となる。
さて、産業革命以前は人工物の産業は限定的で、19世紀までは、前出の人工物の産業の多くは存在しなかった。それに対して、自然物の産業は、その産業の内容は大きく変化したが、時代に関らず存在し続けてきた。20世紀は、数々の人工物の産業が創出、発展し、人工物の時代であったと規定できる(ただし、この時代の恩恵は20世紀に「先進国」と呼ばれた国だけに限定された)。この人工物の産業の勝者が米国であり、80年代以降は日本、ついで2010年代に入り中国となりつつある。それに対して、欧州は機械産業、自動車、航空機といった人工物の産業で、特に量的優位では米国、日本、中国といった世界の覇者に時として劣勢であったが、化学、食品といった自然物の産業においては一貫してその強みを維持してきた。
したがって、世界の国家戦略は人工物の産業と自然物の産業のどちらに政策の重点を置くか、2つに大別され、このどちらの産業がその国家を競争国家に対して優位付けるか、そのための政策のひとつとして知財戦略が位置づけられることになった。
日本経済の空白と米国を中心とした知的財産権戦略と今後
コンピュータとコンピュータソフトウェア(以下ソフトウェアと略記)の進化の結果、自然物の産業における原子・生命における「地図」の持つ意味は極めて大きくなった。ナノテクノロジー、ライフサイエンスにおいて、地図を持っている国家、企業は試行錯誤をしないで、研究開発、商品開発が行え、知財戦略も鳥瞰的に作成することができる。それに対して、地図の無い国家、企業は的確な研究開発、商品開発、知財戦略を行うことは困難である。人工物の産業においては、地図は、日々更新され、その利用される場も限定されるため、その持つ意味は、自然物の産業ほど大きくはない。
20世紀末はコンピュータの登場で、大きく地図の機能が向上した。それは、コンピュータシミュレーションの産業利用の可能性の拡大である。コンピュータの普及の急拡大と米国が人工物の産業における覇者を日本に奪われた時期、それが1980年代であった。米国は1970年代の人工物の産業を中心とした知財戦略から、この時期にソフトウェア重視の知財戦略へ大きく転換した。このソフトウェアは人工物の産業であった電気機械産業の製品であるコンピュータから生まれた商品であったが、その商品としての性質が自然物と人工物のどちらに振る舞いが似ているか議論が定まらないと思われる。
しかし、このソフトウェアに関する訴訟を中心とした知財戦略は、米国、米国企業が保有するソフトウェアの市場価値を高め、ソフトウェア産業は急成長した。この結果、米国は人工物の産業における覇権を日本に奪われたにもかかわらず、世界経済における覇権を1990年代に獲得し、2010年代を迎えている。この時期、ソフトウェアは、米国から世界中へ商品輸出、技術輸出され、米国の貿易の中核となった。
1990年代末、ソフトウェアとコンピュータの進歩はゲノムの解析を通じて、ライフサイエンス産業を成長させ、その結果、1990年代末に、米国の知財戦略は、ライフサイエンス産業の拡大にともなって、自然物の産業の知財戦略の重視へと大きく移行し、2000年代から2010年代へと自然物の産業に強みを持つ欧州と米国の利害は一致することになった。
1990年代末は、人工物の産業に関る知財戦略から自然物の産業に関る知財戦略に移行する変革期であると考えられる。その変革を起こしたのが、ソフトウェアの進化であり、ソフトウェアと自然物の知財戦略における類似性であったと推測できる。
21世紀初頭の世界経済は、自然物の産業を中心とした欧米に対して、人工物の産業を中心とする日本、中国といったアジアの対峙と理解することができる。知財戦略が産業支援を目的として意図されると考えるならば、欧米と日本の知財戦略は異なったものになると予測される。欧米は自然物の産業であるため、ゲノム解読を通じて原子・生命の地図を完成させ、日本、中国が追随できない鳥瞰的な知財戦略をコンピュータシミュレーションと連動させて、繰り出してくることが考えられる。
大学の関与は、基本的に自然物の産業に関する産業連携が望ましい。したがって、日本の産業構造は、大学の参加が容易ではない人工物の産業に留まっている限り、大学の役割は限られていくと思われる。産学連携は多くは知財を伴うが、その際、自然物の産業に関する産学連携と人工物に関する産学連携では知財の活用と戦略が大きく異なることに留意する必要がある。前者は学にとって、大きな成果が期待しうるが、後者の成果は限定的である可能性が大きい。また、企業の活動においても、前者と後者では知財戦略は当然変わる必要がある。
また中国においては研究機関、大学への市場原理、競争原理が大幅に導入され、政府等のプロジェクトへ参加して研究費を獲得できない大学の研究室は研究費が獲得できない。中国科学院は、清華大学、北京大学を超える研究所群で構成され、学位審査もできる中国最大の研究集積の場であり、研究者の聖域でもあった。科学院は中核研究所以外が徐々に民営化されつつあり、競争原理が研究成果を変化させつつあると思われる。中国は現在世界最大の人工物の産業集積地へと成長しつつあるが、欧米と将来、自然物の産業においても競争するにおいて、これらの変化はどのような結果をもたらすか、今後検証されなければならない。
さて、政府にとっても、企業支援を行うとき、人工物の産業は民間主導が望ましいが、自然物の産業は、科学の対象であり、世界的視点からの政策主導が正当性を持っている。
我々は大きな岐路にいる。日本と中国の明日を拓くのは、人工物の知財と自然物の知財への包括的戦略であろうと思われる。
0 件のコメント:
コメントを投稿