2010年9月15日水曜日

托卵型経済と中国・インド政府 先進国政府はロボット経済へ



1.なぜ1980年代NIESの雁行経済が成立できたのか

雁行経済は欧米企業が弱体であったから可能となった

 中国の成長はかつての韓国、台湾他の成長と異なっている。韓国、台湾の諸国の成長を説明する原理は、雁行型経済発展といわれる。その基本は学習であり、産業は学習と模倣によって、より先進地域な地域から発展途上国へと順次移転していく。模倣や学習は、後から行うほどより効率的、短期間に行われるので、後から追いつく国ほど早く成長できることもあり、次々より高い技術レベルの産業を模倣により創出していく。
 また、より先進的な地域での低い技術レベルの産業は、追いつかれた国の産業にその座を譲り、衰退していく。このような産業の模倣による創出・衰退が連続的に起こり、そのイメージが雁の群れが飛んでいく姿に似ているということで、雁行型経済発展と呼ばれている。キーワードは学習で、社会のエリートが欧米日に依存しないで、自分自身で学習、模倣し、技術と産業を創造していく。主体はあくまでその国のエリートであることが多い。韓国台湾政府は産業政策として日本の1950年代1960年代モデルを実施し、企業は1970年代1980年代の日本企業(成長当時の日本企業)を模倣したと考えられる。韓国台湾の成長は乱暴に説明すると、政府の政策は1960年代日本型、企業のビジネスモデルは1980年代日本型と説明可能である。

2.中国経済のジレンマ

 中国の発展は韓国台湾と異なる原理で起こったと考えられる。中国政府は産業政策として日本の1950年代1960年代のモデルを実施した。政策原理の多くは、韓国台湾と同様であると思われる(欧米の大学では、1989年の共産圏の崩壊当時、旧共産圏国家が選ぶべき産業政策として日本型産業政策が適しているとの論文があった)。しかし、企業のビジネスモデルは日本からの模倣とは異なっていた。これは韓国台湾とまったく異なっていた。
 さて中国の発展を概括すると、貿易依存型でありGDPの50%程度が貿易によって生み出されている。また、輸出入の50%程度は、外資系企業に依存している。このことは、何を意味しているのか。実は、中国という場で、欧米日が勝手にビジネスを行っているのであって、中国は場所を提供しているに過ぎない、という状況が続いた。日本企業は、中国の日系企業とビジネスをしている。日本人対日本人である。同様に米国も、米国人と米国人がビジネスを中国という場で行ってきた。欧州も同様である。中国という場で、日本と欧米間のビジネスも起こる。社会のエリートが主体をなしてのビジネスというよりは、海外人材に依存するビジネスである。
 日本と欧米のビジネスの違いは、欧米企業の場合は、企業内に中国人が多いので、ビジネスの主体が欧米人とはいっても実際は、中国系であることが多い点にある。この点で中国では日本企業より好意を持って欧米企業は迎えられる。しかし、基本的には中国しか知らない現地の中国人にとって、これらのビジネスは、極めて参入しがたい無縁のビジネスであることが多い。
 例えば、中国で、米国企業の東アジア担当副社長が、米国留学した中国人または米国生まれの中国人を現地法人の社長にして、ドイツ企業、日本企業とビジネスを中国で行うとしよう。この企業は、中国の現地政府の中国人エリートと交渉をし、工場従業員、事務スタッフ、営業スタッフに現地の中国人を雇用するが、やりかたは米国流で、本国の米国で仕事をするのと同じ感覚で意思決定を行う。現地採用の従業員は単純労働に従事し、意思決定は委ねられない。米国に留学して学位をとり、仮想に米国人になって帰ってこなければ、意思決定の輪には入れない。
 また、上海では日本企業が日系企業とビジネスをすることは日常で、日本企業が溢れ、日本語も溢れる。このビジネスモデルには、中国しか知らない素朴な中国人は単純労働者としての意味しかない。米国と異なり、日本に留学して学位をとっても仮想に日本人になることは出来ない。意思決定に入れないことで、不満は大きい。この状況は日本企業でのスト続発といった事件?も生んだ。
 このビジネスモデルで、中国の多くの地域は成長している。これはカッコーが他の鳥に自分の子供を育てさせる「托卵」に似ている。それで清家は「托卵型経済発展」と定義している。
 なぜ、このようなビジネスモデルにかつての韓国、台湾といった国はならないで、雁行経済を可能に出来たのであろうか。それは、雁行経済が実現できた1970年代1980年代の時期は、欧米企業、特に米国企業が弱体であり、そのためアジアへそのビジネスを拡大できず、また日本は欧米への進出にその大部分の経営資源を投入していた。そのため、経済的空白地帯がアジアに生じ、その結果としてNIES諸国の独立的成長がその空白を埋める形で可能になったとも考えられる。米欧の企業が強くなった1990年代2000年代、その空白はアジア、世界市場にはなく、その結果このようなビジネスモデルを余儀なくされているとも考えられる。そこからの脱却の鍵は、中国独自のビジネスモデルを作り上げることにある。

3.頑張れ!中国政府産業政策1970年代日本型 頑張れインド、インドネシア

 現在、中国政府、広東、上海市の政府は、親として「企業」という子供を一生懸命育てている。しかし、実はこの子供は欧米日という親が産んだ卵が孵ったものであるのかもしれない。中国政府というウグイスはカッコーが産んだ卵を一生懸命育てているのかもしれない。この托卵型経済発展は、先進国が意思決定、発展途上国が単純労働・消費といったビジネスモデルによる国家発展モデルである。この状況を変える可能性があるのが中国政府の産業政策「工場の地方展開、海外進出、自国ブランド・技術創造」であり、これは日本の1970年代産業政策(田中角栄列島改造論)である。
 ところで、中国政府は国家戦略が素晴らしく、中国人の駆け引きにはかなわないといったことをいう識者が多い。しかし、それは本当だろうか。かつて、アヘンを国内にばら撒かれて、2回のアヘン戦争で半植民地に陥った過去を考えれば、中国政府が国家戦略で巧みとはまだ歴史が証明するところではない。中国政府の失敗は歴史でいくらでも指摘できる。むしろ、国家戦略で多くの学習課題を抱えた政府とも思える。
 この托卵型経済発展モデルはそのままインドに対しても応用が可能である。現地の中国人が単純労働・消費という部分を、現地のインド人が単純労働・消費と言い換えれば、概ねこのモデルによる国家発展がインドでも可能であることが、推測しうる。インド以外のインドネシア、パキスタン、バングラデシュ、アフリカでも托卵型経済発展モデルは成功しうる可能性があると思われる。また中国自身がアフリカ諸国などに対して托卵型経済発展を仕掛けているといったちょっと悲しい場にも出くわす。

4.欧米日政府の悲劇 法人移民?税収減の恐怖

 托卵型経済発展は中国政府、インド政府から見てあまり気分の良いものではない。しかし、先進国にとってもこれは困り者である。一番困るのは、徴税である。企業が中国、インドへ行ってしまえば、税金を払ってくれない。企業を育てるまでに国民の税金は少なからず、使われたはずである。ところが、育ったと思ったら中国、インドへ行ってしまって、税金を払わなくなるのでは先進国の財務省は不愉快で、なおかつ国民に申し訳ない。
 しかし、むやみに他国内の活動から税金を取れば、中国政府、インド政府に叱られる。さて、困った。既に金融危機後の経済政策は膨大な国債などを欧米政府乱発し、財政は急速に悪化している(1990年代日本の産業金融政策に欧米政府、有識者は一生懸命学んである。あんまり出来のいい学生では無い。おそらく大部分の国家は留年?)。やがて、先進国の財務、経済産業関係省庁は、海外徴税システムの構想課題を抱え、悩むことになる。2000年代の日本を学べ!2010年年代の日本政策は欧米の最先端実験場だね。

5.ロボット経済への模索

 上記の構想課題を具体化する有力なヒントは、海外移民からの仕送り経済に依存している現在のフィリピン等、特に依存度が大きい太平洋の島国から得られる。これらの国々は、若者をオーストラリア、ニュージーランド等の先進国へ移民させる。彼らは2代くらいに亘って仕送りしてくる。ここから税金を取って、これら太平洋の島々は経済を維持しているのである。企業を法人と呼ぶ。海外進出を「法人移民」と言い換えれば、ここに徴税のヒントがあるのかもしれない。
 托卵型経済発展モデルは、先進国が意思決定し、発展途上国が単純労働・消費するという仕組みであり、地球上を一巡し、現在の定義で言う発展途上国が消滅するまで続くと思われる。しかし、いつまでも続かない。発展途上国が主流でなくなる地球、その将来、その後の経済について構想してみよう。その時代は、単純労働・消費をする人的資源が消滅する、もしくは消滅しなくても、少なくとも経済的な意味が大きく減少している。その経済は20年後には到来するであろうと思われる。
 それが移民代わりのロボット、ロボット経済を清家が日欧米に提唱する理由である。いままでブログで書いてきた「ロボット・・」を参照。
 また日本人と米国人は太平洋という資源、環境面で地球の未来を担う巨大な地域を開発・管理する中心的な役割も負わなければならない。
 現在、30歳代で、欧米、中国、そして日本の未来を担おうという人材にとっては、20年後はもっとも働き甲斐のある年齢に達する時代である。この時代の経済モデルとはなんであろうか。その転換、革命に備えなければならない。
 

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